淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

雪バカのファイナルカウントダウン

 雪バカ、スキーバカを自認しているマスヲだが、今シーズンの滑走可能日数もどうやら数えられるほどになってきた。
 予定では、明日明後日と車中泊で2日間のスキーをすることを予定していたが、滑走を考えていたスキー場の天気予報が明日は雨のため、明後日だけの滑走に予定を変更した。

 以前の記事でスキーの第2次マイブーム中だと書かせてもらったが、第1次マイブームとの違いのひとつはシーズン終了の時期だ。
 当時のほうがゴールデンウイークまでは、滑走できるゲレンデが多かったのだが、4月になるとスキーに行く回数は激減していたし、その当時はGWになるとマスヲはほとんど滑走していなかった。
 気候は統計的にも温暖化していることが証明されているので、当時の方が同じ時期の雪質ならばよかったのにかかわらず、だ。

 理由のひとつは間違いなく道具の進歩だろう。ブーツや板は間違いなく進歩しており、予算が許せばハイシーズン用のスキー板の他に春雪シーズンや子供や初心者と滑走する板を別に購入したいと考えているし、そのような板が開発されているということも、マスヲにとっては嬉しい。
 
 また、マスヲのスキーに対するモチベーションも変わった。以前は、思うように滑走できないことを雪のせいにもしていたが、最近は滑れるだけでその環境に感謝しているし、様々な雪質に対応するのもスキーの醍醐味のひとつだと考えられるようになってきた。どんな状態のシチュエーションでも、自分のイメージ通りに滑走できるようになれたらと向上心も芽生えてきた。

 あるゲレンデを知ったことも大きいだろう。そのゲレンデは他の記事でも何度か書いているチャオ御岳スノーリゾートだ。
 行くことになったきっかけは、第2次マイブームが始まってすぐのころに静岡県に住む友人と久しぶりにスキーに行くことになったことだ。友人の小学生の娘もひとり同行することになっていた。

 その時の約束はいくつかあったが、次の通りだった。
 当時まだマスヲはスタットレスタイヤを持っていなかったので、友人の車でゲレンデに行くこと。
 彼が静岡県から我が家までは運転し、我が家からゲレンデまでの往復はマスヲが運転すること。
 2人とも木曽方面のメジャーなゲレンデはほぼ行ったことがあったので滑走したことがない、チャオ御岳スノーリゾートで滑走することの以上だ。

 当日は幸運というか不幸というかハイシーズンの時期なこともあって道中は雪だらけ。その分、到着したときのゲレンデコンディションは素晴らしかった。
 現在はそのルートはあまり使わないが、その日は国道19号線から国道361号線に入り、木曽福島スキー場の前を通るルートで向かった。
 国道19号を折れてすぐにかなりの降雪で、スタットレスタイヤなのに友人と相談してチェーンを装着することになった。チェーンを装着したあとは、友人の車とはいえ、他人の車なのでより慎重にゆっくりと運転した。
 雪が少ない状況の中、スタットレスタイヤで走行すれば、国道19号線から木曽福島スキー場までは20分ほどで到着する。その日は倍以上かかってようやくそのスキー場の看板が見えはじめた。マスヲはそんな環境の中、友人の車に気を使って運転していたのでかなり疲れていた。
「こんな道路状況だし、今日は木曽福島で滑れない?」とマスヲは友人に提案した。
 彼は聞いているのかいないのか知らないが何も答えなかった。
 木曽福島スキー場の真ん前で言葉を変えて同じような質問をしても反応は同様だった。答えはノーと言うことだったのだろう。

 ナビを見るとここからチャオ御岳スノーリゾートまで30キロ以上あった。このペースで行くと1時間以上かかりそうだった。
 マスヲはうんざりしながら見飽きはじめた雪景色の中、知らない山道の国道を運転し続けたのだった。ハンドルを握りながら気が付いたのだった。彼は友人同士の中でも有名な筋金入りのケチだったということを。
 チャオ御岳スノーリゾートは小学生のリフト券が常時無料を大きくアピールしていた。彼が重要視したことはきっとその点だったのだろう。
 そんなことを考えながらも慣れない車で慣れない環境の道を運転し、何とか無事にゲレンデについたのだった。
 おかげで、マスヲはその時にはそのゲレンデによい印象を持つことができなかった。

 昨シーズンは近年まれにみる暖冬で、雪バカたちは何かと泣かされたシーズンだっただろう。
 シーズンインはもちろん、ハイシーズンから春雪シーズンまで、常に雪不足というキーワードが付きまとっていた。
 やっと、春スキーの魅力がわかりかけてきたので、春スキーのシーズンを少しでも伸ばしたいと思っていた。

 調べていたら、なんとあのチャオ御岳スノーリゾートはGW過ぎまで営業するとのことだった。
 理由はスキー場のベース部分でも標高が1800メートル以上あり、御岳山の北側斜面になるために、雪が残りやすいためだろう。
 あのときは嫌な思い出しかなかったし、苦労していったので、行くことを一瞬躊躇したが、他にあまり選択しもないので、行くことにした。
 自分の慣れた車で行ってみるとなんてことはなかった。ハイシーズンのころに滑走しているゲレンデに比べれば数十キロほど距離は遠いのだが、雪がない状態で運転してみると極端な山道も道中は少なかったので割と楽だった。

 今シーズンの残り少なくなった滑走を、チャオ御岳スノーリゾートを利用して1日でも多く伸ばしてスキーを楽しみたいと思っているし、あのときの友人の対応を今になって感謝している。
 それにしても、マスヲは今シーズン、あと何日滑走できるだろうか。1日? 2日? 3日?

ベースボールではなく野球なのだから

 午前中からの用事が終わり、外出先から帰宅してテレビの電源を入れた。
 ケーブルテレビで広島対中日戦の観戦をはじめた。今シーズンのドラゴンズは下馬評通り、今日の試合開始現在のセリーグ順位は最下位。
 それでもマスヲはドラゴンズファンなので、ブラウン管越しながらも応援しながら観戦をはじめた。

 観戦を初めてしばらくすると、なんと中日が4点を先制する展開。昨シーズンはリーグ優勝し、今シーズンも首位の広島に勝てるかもしれないと思っていると、今年は先発に転向して調子のいい又吉がその裏にすぐに追いつかれてしまった。

 その後も点を取ったり取られたりのシーソーゲーム。試合は緊迫感があるのだが、試合ではなくて、ときおり移るスタジアムの様々なテレビカットを見ながら、「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム 広島」が魅力的に見えてきた。
 セリーグのホームスタジアムで一番新しいのに、ドームスタジアムでもなく、天然芝の他にも様々な魅力があるのだろう。

 こんなホームスタジアムでプレーできる広島の選手も快適だろうし、ひょっとしたらアウエーの相手選手でも気に入っている選手もいるかもしれないと感じた。
 今日のような春の深まった陽気の午後に、こんなスタジアムでビールを片手に野球観戦できたら、どんなに素晴らしいだろうと思ってしまった。

 マスヲの好きな作家のひとり、村上春樹はスワローズファンである。ちなみに村上春樹はスワローズ名誉会員の№2、名誉会員の№1はなんと出川哲朗らしい。

 村上春樹が小説を書くきっかけに次のような有名なエピソードがある。
 明治神宮野球場プロ野球の開幕戦のデーゲームをビール片手に観戦中に小説を書くことを思いついたそうだ。
 そのエピソードを彼のエッセイの中で読んだときに、それが東京ドームでのヤクルト対巨人だったらそんな気は起きなかったのではないかと感じた。(もし、本当にそうなっていたらマスヲの好きな作家のひとりがこの世に存在しないことになり、マスヲの人生にも大きな影響があったと思う)

 あるプロ野球解説者が何かの折にベースボールではなく『野』『球』(フィールドでの球技)なのだからと何度も繰り返していたのを聞いたときにも、マスヲは何かを感じた。

 村上春樹は天才的な作家でもあるので、彼のエピソード極端な事例なのかもしれないがドームではないスタジアムで穏やかな日中に野球観戦することは、人に何かインスピレーションを与えるような特別な力があるのかもしれないし、今日の観戦でもささいなことかもしれないが何かインスピレーションを受けた人がいるかもしれないなぁ、とぼんやりと考えながらテレビを見続けた。

 ちなみに、本日の試合結果は8回裏に広島に2点追加されて、7対8での逆転負けになってしまった。やはり、今年も広島は強いし、残念………。

6:30に耳障りな音で目が覚めた日

 朝ノイズが入ったような耳障りな音が聞こえてきたので目が覚めた。時計を見ると6:30。
 初めは、今日も昨日に続き耳鳴りかと思っていたが、いつもの耳鳴りとも違うような感じだ。
 どちらにしろ、今日の予定を考えるとまだまだ寝ていてもいい時間なので、その音を気にしないようにして、まどろんでいたが音が次第にはっきりしてきたので、あきらめて起床した。
 どうやら遠くの方でスピーカーから何か音楽らしきものを流してテストをしているかのような音だ。
 そしてそのぼんやりと聞こえてきた音楽がはっきりしてくるにしたがって今日が何の日か気が付いた。
 今日は憲法記念日。日本LOVEだと思っている中の一部の人たちが一年で元気になる日のひとつだ。

 マスヲの友人もひとり、若いころに日本に対する熱心なLOVELOVEな活動をしており、その活動に誘われる封書がある日マスヲの自宅に届いた。共通の友人に電話をすると彼のところにも封書が届いていたそうで、お互いに相談した結果、やんわりと無視することにした。
 それからも時折、日本LOVELOVEな活動の報告が封書だけでなく葉書などでも届いていたが、しばらくするとそういった報告はなくなった。

 今でも彼とは友人だが、その話を飲んでいるときなどにすると本人もとぼけてなかったことにしているし、そんな彼は今では日本よりはフィリピン女性の方に興味があるように見える。

 日本のメディアは海外の情勢をBrexitやトランプ大統領の当選、フランスでの国民戦線の台頭などをポピュリズムと揶揄するような伝え方をしているが、マスヲから見れば日本も大して変わらないと思っている。
 2005年の小泉元首相による郵政解散や最近の小池都知事による都政運営なども、マスヲからみればポピュリズムに見えて仕方がないのだ。
 
 日本LOVEだと思っている中の一部の人たちが今日元気に頑張る理由は、現在の憲法を変えたいという希望だろうが、マスヲはそんな希望は持っていない。
 理由はポピュリズムが起きているような国家は成熟した大人の国家とは言えないと考えるからだ。
 
 マスヲが大人の定義として気に入っている女性作家の言葉があるので、最後にその言葉を紹介したい。
 その言葉を思い出すたびに日本だけでなく、マスヲも大人になりきれていないと痛感する。
 日本とマスヲに大人になれる日はくるのだろうか。マスヲ自身が大人になる必要はあるのだろうか。

「大人になるということは、成長するということよりもむしろ、成長させるべきでない領域を知ることだ。」

山田詠美著  「ぼくは勉強ができない」

自分の体のためでも続けることは難しい

 昨夜の寝る前と、朝食事前に飲むべき薬を飲み忘れてしまったので、今日は体調が悪かった。
 昨夜、少々飲み過ぎたせいもあったのだが最近調子が少しずつ良くなっていたので、油断していたのがいけなかった。
 今日の日中に久しぶりに眩暈を感じたし、先ほどの入浴中からときどき、耳鳴りもする。

 昨年の年末くらいから朝から体が重い日が続いた。その段階で近所の町医者の診察を受けたら、軽い風邪で薬を飲むほどでもない、と言われてしまった。
 正月休みを挟むと、今度は明け方に耳鳴りがはじまった。耳鳴りくらいならと思っていると朝になると感じる倦怠感がどんどんひどくなり、朝の通勤電車で背中を誰かに触れられるだけで、立っているのがつらくなるほどだった。

 さらに、しばらくすると今度は眩暈の症状が現れた。初めは昼寝をして目覚めたときにしかでなかったのだが、次第に歩いているときなどにも出はじめた。
 一度、駅のホームで眩暈が始まりホームから落ちそうになったので、心配になり再び診察を受けることにした。
 症状などからどの診療科を受けるか悩んだが、まず脳外科を診察した。

 診察を受けた脳外科では最初に血圧を計測されたが、血圧の数値を聞いてびっくりした。マスヲの普段の数値は120を超すことなんてほとんどないのに、140を超していた。
 すぐに頭の写真(CT)をとり、念のために血液検査も受けた。ドクターから再診の指示を受けていたので、再度そのドクターの診察を受けると特におかしいところはないとのことだった。
 最初の診察時に耳鳴りの薬を処方してもらった。ドクターによるとよく効く薬だから、言っていたが飲み続けても一向に改善されなかった。
 ドクターはメニエール病の疑いもあるから耳鼻科にかかるように指示を出したが、マスヲにはそのドクターが責任転嫁しているようにも感じた。
 
 その日のうちに耳鼻科に行き、脳外科からの指示を説明して診察を受けた。聴力検査などの検査を受けたがメニエール病の兆候は見られないといわれた。
 ただ、耳鼻科のドクターもメニエール病はなかなかすぐに症状がわからないこともあるので、とりあえず経過観察をして、それでも改善されなければ再度の診察を促していた。

 日にちが過ぎてもマスヲの症状は改善の兆しはなく、むしろ眩暈はどんどんひどくなっていった。 
 マスヲは思い切って、診療内科の診察を受けることにした。
インターネットの口コミサイトなどで調べて今の現場からわりと近い病院に電話をすると、やはり評判が良いのか最短でも1週間は予約が取れなかった。
 仕方がないので、その最短日に診察の予約をした。

 以前、鬱病を患ったことがあってその時も診療内科に通院していたがそれでも、やはり診療内科の診察を受けるというのは少し抵抗がある。
 過去のうつ病の際に診療内科の診察を受けていることを義理の父が知ると、猛烈に抗議されたことがあったのだ。
 彼が言うには、そういうことが世間に知れ渡ると娘が苛められてしまうというようなことを言い出したのだ。
 彼から見れば義理の息子よりも孫の方が可愛いし、気にかかるのはよくわかる。
 マスヲだって父親なので娘を可愛いと思っていないとでもいたのだろうか。

 今思い返してもその時のやり取りは腹が立つ。
 だが、相手が自分より弱い立場にあって困っていても、人は自分の経験していないことを相手の立場になって想像できる人というのはかなり限られているのではないかという思いをより深めるきっかけになった。
 当然、マスヲも困っている相手の立場を考えられない貧しい想像力しかない人間のひとりだとも思う。

 診察の結果、どうやら仕事のストレスが原因のようで自立神経がおかしいとのことだった。
「自分でも前のうつ病とは少し違うと思っているでしょ」、と尋ねられた。
「そうですね」とマスヲも素直にうなずいた。
「ただね、こういった症状って改善するのに時間がかかるのよ」ドクターはこちらを覗き込むように続けた。「気長に治療を続けましょう」、と。

 それから2カ月近く経つが、処方で出されている薬と主治医と相談して許可をもらった別の漢方薬を飲むことによって、症状は少しずつだが改善されつつあったのだが、服薬を少しサボっただけでこんなにしんどい思いをするとは思わなかった。

 今さながら自分の体のためであっても、何かを続けることの難しさと、スペシャリストの意見に耳を傾けることの大切さを改めて感じた。

今年も1/3が終わり

 マスヲは今日は出勤だ。しかも、連休前の金曜日にひとつ上の元請けに会社の社員に、GW中はお客様が(エンドユーザー)休みだから、なるべく出勤しないようにと、有難い言葉まで頂いていたのにだ。
 仕事嫌いのマスヲが出勤なんかしたいわけないだろう、全部お前のせいだと怒鳴り返したいくらいだった。

 いつもの駅のホームで電車を待っていたが、思ったよりも人が多い。
 平日ダイヤのいつも通りの時間に電車はホームにすべりこんできた。ホームから先頭車両から車内を見ていると思っているより、人が多い。学生の多い電車というのもあってかせいぜい、普段の3/4くらいだろうか。
 気分が乗っていないせいか身体が気だるいので、座りたいと思っていたが無理だった。
 
 まつりさんの事件がきっかけで働き方改革という言葉を聞く機会だけは増えているが、メーデーでもこんなに休めない労働者が多いようでは改革という言葉だけが独り歩きして、結局は何も解決しないままフェードアウトしてしまう、社会問題の遺跡のひとつになってしまうのだろう。

 さて、昨日で4月も終ったので今年も1/3が終わったことになる。今のところ「公私」でいう、「公」のほうは嫌なことばかりのような気がするが、仕事嫌いのマスヲとしては当たり前のことなので、これ以上のことを書くつもりはない。

 だが、「公私」でいう、「私」の方は今のところ昨年よりは良いと思っている。
 ここ数年、年末になると「七味五悦三会」をキーワードにしてその年を振り返るようにしている。

 「七味五悦三会」の意味をマスヲが知ったのも、40を過ぎた後だと思う。
 簡単に言葉の意味を説明すると「七つの初めて食べた美味しい物、五つの楽しかったこと、そして三人の素敵な人に出会えただろうか」ということです。
 むかしの江戸っ子はこんなことを家族や中の良い人たちと話しながら年を越したそうです。なかなか粋だし、人生を楽しんでいたと思いませんか。

 マスヲは昨年、「七味五悦三会」を考えながら振り返っていると「三会」が全然思いつかなかった。
 年越しの時は飲み屋のお姉さま2人を無理矢理加えて、「三会」とした(なんというさみしいオッサン)。
 毎年、マスヲ家で小中学校からの友人と大晦日に忘年会をしているので、そのときにいた友人のひとりに聞くと彼も「三会」がいないと答えてくれたので、その時は少しだけ慰められた。
 
 でも、今年のマスヲは違う。年々難しく感じるようになっている「三会」に挙げることができる人に、すでに2人も出会うことができた(もちろん飲み屋のお姉さまではない)。
 それどころか、このペースで行くと魅力的な人に出会い過ぎて「三会」を選ぶのに悩むような年になるかも知れないと、期待を膨らませている。

 ちなみに今年、「七味」に入れたい料理もいくつか見つかっているが、今年一番食べて気に入った料理はある店のランチで食べた「牡蠣のボンゴレビアンカ」です。
 あまりの美味しさに自分でもチャレンジしてみたのですが、全然美味しくなかったので、余計にそう感じています。

 今年も年末には何回かの忘年会を行うだろうが、参加するそれぞれの忘年会で「七味五悦三会」の話を絡めていい年だったといえる年になれるように、今日から年末までを過ごしたいと思っている。