淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

明日になったら帰ります 【飛騨・信州路の冬のひとり旅 その1】

 今、ビジネスホテルの客室でこのblogを書いている。16時30分ころにチェックインを済まして、今1Fにある大浴場で温泉に入ってきたばかりだ。
 昨日、思い立って一泊の旅行をすることにした。なんとなく家に居たくなかったことと。久しぶりに外泊したくなったこと。そして、あるスキー場のスクールに入校したかったことが動機だ。

 最近、スキーに出かけるときは寝坊することが多かったが今日はなんとか6時過ぎには起床し、7時前には出発した。目的のスキー場に9時30分までには到着する予定だったのだが、愛知と岐阜の県境をまたがっているある自動車専用道路が凍結のため、通行止めになっていたのが誤算だった。代わりのルートとして一部、高速道路を使ったが到着時間が予定より遅れてしまったせいで午前中のスクール受講ができなかった。本当は1日受講するつもりだったのだが。
 仕方がないので、午後から受講することにした。せっかくモンデウス飛騨位山スノーパークまで来たのだから。

 着替えてリフト券を購入した。1日券の料金は平日なので2570円。自分が行ったことがあるいくつかのスキー場に比べても安い。その後、すぐにスキースクールの受付で午後からの受講を申し込んだ。
 準備運動で体を少し動かしてからリフトに乗った。4人乗りの高速リフトでゲレンデトップまで一気に登れる。ゲレンデトップからの眺望もなかなか良かった。

f:id:mobemobe617:20180112180740j:plain
ゲレンデのベースから4人乗り高速リフト乗り場を望む
f:id:mobemobe617:20180112180810j:plain
ゲレンデトップからの眺望
 滑りはじめると雪が少し重たかった。だが、コースは思っていたよりも無駄がない。中級者以上が練習するには最適だろう。一通り滑走可能なコース全てをゆっくりと滑るとお昼になったので、高山ラーメンを食べた。
 食後にスマフォを使用して今夜高山で宿泊できるホテルを探して予約をした。

 指定された時間の10分前から指導員を待っていた。時間近くになっても誰も現れない。どうやら他の受講者はいないようだ。
 13時になると指導員が1人現れた。受講者は自分だけなのでマンツーマン指導となった。受講時間はあっという間に感じた。内容が濃密だったからなのだろうか。
 ちなみにこのスキースクールを受講するように助言してくれたのは、春先にある温泉の露天風呂で知り合ったシニアのスキーヤーだ。彼に再会することが出来たら良い報告ができるといいのだが。

 今日のタイトルはあるエピソードにかけた。
 亡くなった父親が某松下電工の仕事を直接請けて手掛けていたときの平日に、釣りに出かけていたことがあった。すると相手先の課長から父宛に電話があった。不在であることを母親が相手に伝えると、何時帰ってくるかと質問されたそうだ。暗くなったら帰ってきます、と母親は即答したそうだ。
 自分は明日の夕方に友人と飲みに行く約束があるので、今のところ明日の夕方までには自宅に帰るつもりではいる。(つづく)

ただではない価値を大事にすること【『人生フルーツ』を再鑑賞して】

 実は昨日、『人生フルーツ』を映画館で再鑑賞していた。もう一度blogに取り上げるべきか悩んだが、昨日はとりあえず他の話題を取り上げた。今日1日考えた結果、やはり再度記事にするべきだという結論にたどりついたので今この記事を書いている。
 ちなみに、正月2日にテレビで初鑑賞した際に感じたことは以下のblogに書いている。
hatehatehahaha.hatenablog.com
 2日にblogを書く際に最も悩んだことがある。作品の最初の部分を見逃していたのに記事にしてよいものかを。全編通して見ていないのにも関わらず。
 だが、途中から見ても鑑賞した後に残った心象を書き残して置きたいという気持ちの方が勝ってしまったので記事にした。

 自分の書いてしまったことに対してのひとつの自責として、少しでも早くこの作品を再鑑賞したいと思っていた。映画館での初演からは時間が経っているし、ミニシアター系でしか上映されていないと思っていた。だが、それは自分の思い込みだった。
 インターネットで調べると自宅から車で30分ほどのシネコンで毎日上映されている。日中の1回のみであるが。

 映画館に足を運んだのは『君の名は。』を鑑賞して以来。
 作品を冒頭から見たことは再鑑賞の中で一番意味があったことだとは思う。当然のことなのでこれ以上は触れないが。
 ただ、劇場で映画を鑑賞する価値を改めて思い直すことができたことも自分の中では大きかった。このようなもの静かな作品であっても。

 映画館まで自分を連れていく時間的コスト、交通費や入館料などの金銭的コストを支払うことによって作品に臨む姿勢が変わってくる。
 また、地上波などのテレビ放送であれば無料ではあるがCMが入ってしまう。金銭的対価を払ってDVDや有料放送で鑑賞したとしても、家のテレビでは劇場の臨場感には勝てないだろう。家庭用のテレビが液晶になり鮮明化、大型化しているとしても。
 テレビで鑑賞していたときには印象に残らなかった作品中の音楽も、作品をより素晴らしいものにしていると感じることもできた。

 上映が終わった後には、初鑑賞の時よりも様々なことを考えていた。そのすべてを書くのは量的にも大変だし、質的にも自分の文章表現力ではとても伝えることは出来ないので、ひとつのテーマだけ書いておきたい。

「ときをためる」というキーワードが作品中に出てくるが、お金だけでなく時間にも限りがあるということがじんわりと伝わってきた。
 お金や時間が有限だからといって、お金のためにあくせくしたり、時間のために焦ったりバタバタしないことが重要だということが。
 一言でいうと、「ただではない価値を大事にすること」を忘れずに自分の身の丈にあった暮らしをすることが、人生では大切なことではないだろうか。

元上司からの年賀状

 今年は8日から配達料金が変わることもあって連休前から年賀状は一通も届いていない。おそらく、自分宛ての年賀状はほとんど届いているだろう。
 マスヲは今までかなりの数の会社を渡り歩いてきたが、それらの会社で上司だった人間に年賀状を出しているのは1人だけ。現在77歳の男性で、当時自分が勤務していた会社では顧問を務めていた。その上司からも毎年、年賀状を受け取っている。

 今までの経験上、様々な組織で巡りあった上司はほとんどろくな人間がいなかった。だが、敬意を抱けるような人物も少しはいた。年賀状を出している元顧問もその1人だ。
 彼には仕事の細かなことなども見習うべきことがいくつかあった。新しく受け取った他人の名刺の整理方法などは良い例だ。彼は名刺の表側に初見の日付など、自分のメモ書きなどを書いていた。そしてその名刺の整理を会社や苗字の50音順ではなくて、初見の日付などの時系列にしていた。

 名刺の表側に何かを記述することは最初抵抗があった。少し考えてみると、受け取った名刺は自分のものだ。エンジニアなので営業職と違って誰かに提出したり、見せたりすることはほとんどない。しかも、名刺の表側に情報が集約されていた方が自分の作業効率が上がることにも気がついた。
 稀に自分が名刺の表に書いている日付などのメモ書きなどに何か言ってくる他人もいるが、理にかなっていることを仕事中に他人に説明するほど、自分は仕事中に余裕をもっていない。時間の無駄だ。

 また、名刺を時系列で整理する方法は人間の記憶方法と同一であることが証明されている。詳細は野口悠紀雄の整理法に関する著作に書かれているが、その著作を読んでさらに顧問の整理法に驚いた。彼は野口氏の著作を読んでいたのだろうか。それとも自分なりに考えついた方法なのだろうか。
 時には顧問から、最初は無茶とも思えるような指示を受けることもあったが、後で考えるとほとんどは自分のためになっている。

 同じ会社に在職中に顧問の妻が亡くなったので、通夜と葬儀の受付の手伝いをさせてもらったのも鮮明に覚えている。
 妻が亡くなった後に自宅を引き払って彼は娘と住むことになった。受付の手伝いのお礼かどうかはわからないが、冷蔵庫が要らなくなるとのことだったので頂いた。
 当時、我が家には大型の冷蔵庫がなかったので、ありがたかった。ちなみにその冷蔵庫は今でも現役で10年以上使用している。

 彼の今年の年賀状には少し気になることが書かれていた。昨年の5月から7月まで入院したことが。理由はアルコール依存症であることも隠さずに説明してあった。
 普通の人ならば他人に隠したいことだと思うのだが、堂々と年賀状で公表するようなところも、自分が敬意を感じずにはいられない人間性の一部だと感じる。
 今年もできるだけ元気でいられることを願っている。

人に優しくするためには

 マスヲの仕事はシステムエンジニア。コンピュータを扱う仕事柄、知人や友人などからパソコンや電子機器に関する問い合わせやヘルプが要請されることがままある。

 むかしの職場でお世話になった方から、ある宿題が出されていた。その方は自分より10歳ほど年長の男性だ。出題の時期は昨年の秋ごろだったと思う。
 依頼の内容はUSBメモリにインストールされているポータブル用のメールソフトが起動しなくなってしまったので、起動できるようにして欲しいとの要望だった。
 宿題の提出期限が定められていないことをよいことに、なかなか宿題を完了することができなかった。
 7月から参加した現場での仕事と自分が持っているパソコンのスペックを自分自身の言い訳にして。

 年末に新しいノートパソコンを買ったことで作業環境は整った。また年末からの休みを利用して少しずつ対応をはじめた。
 前準備として、データのバックアップをするところから。新しいパソコンはSSDを搭載しているので、データのアクセススピードが今まで使っていたパソコンよりも段違いに速い。預かったUSBメモリには考えていた以上のデータ量が記録されていたので、その性能には助けられた。

 バックアップが終わったら実作業にとりかかった。最初は起動時のエラーを回避する方法での対応を試みた。インターネットで調査したいくつもの対応策を試してみたが上手くいかなかったのでアプローチを変えてみることにした。
 新しくメールソフトをインストールし、インストール先にバックアップデータを移す方法に方針を変更した。この方法でテストしたら上手くいったので、依頼主に連絡を取って状況を説明すると、今日か明日であればこちらが訪ねても大丈夫だということだった。

 まだ、次の現場が決まっていないため会社からは出勤の指示が出ていない。決まるまでは時間の融通が利く。逆に言えば次の現場が決まってしまえば、突然でも出勤しなくてはならないのが自社のルールだ。
 明日のことはわからないので今日、宿題の提出をすることにした。昨秋に出題されていた。

 宿題の出題者は岐阜県可児市在住だ。午後、車で向かった。自宅からは高速を使わなくても1時間ほどの距離なので14時過ぎに到着した。
 知人宅にお邪魔するやいなや、すぐに作業に取り掛かった。
 手順は簡単で作業量もそれほどでもないがデータ量が多いせいか意外と時間がかかった。その間、彼との雑談を楽しみながら。

 夕方までには作業が完了したので、帰路に着いた。自分みたいに度量の小さい人間が人に優しくするのは難しい。まずは、時間と体力の余裕がないと。他にどんなものが必要だろうかと考えながら、ハンドルを握っていた。冬の早い夕暮れの中で。

久しぶりの初稿脱稿

 今日はまた寝坊した。前日、マイカーにスキー道具一式を積みこんでいたのにも関わらず。時間があまりにも遅すぎたので、恥ずかしくて書けないくらいの時間に起床した。
 さすがにスキーは諦めて他のやりたいことに時間を使った。

 年末にノートパソコンを購入したので、そのキッティング作業の残りを片付けた。Windowsライセンス認証に思った以上に手間取った。まさか、ライセンスキーが本体裏に添付してあるシールにしか記述していないとは思わなかったからだ。

 その後は今月末までに書き上げることになっていた小説の執筆に取り掛かった。実は、昨日も少し書いていたのだが、あまりはかどらなかった。
 今日も何度か現実逃避したくなった。パチンコ屋に行きたくなったのにもなんとか耐えてキーボードを叩き続けた。
 自分が好きでやっていることなのに、なんでこんなに逃げたくなるのだろう? 不思議な感覚だが、10数年前に初めて同人誌に所属して小説を書いていた時もそんな気持ちだった気もしてくる。
 自分みたいにアマチュアで大した作品を書けているとは思っていないが、一端に産みの苦しみだけは味あわなければならないのだろうか。
 そういえば、この種の質問を他の同人誌の同人にしたことがない。次回の集まりの時に一度質問したくなってきた。

 それでも半日近く書き続けていたら、書き上げることができた。久しぶりに初稿だが脱稿できた。
 まだ、ここから印刷して誤字などをチェックする。そして、いつも最初に原稿を見せて感想や意見などをしてくれる友人に見てもらってからの書き直しの作業が待っている。
 だが、それでも久しぶりに小説を書き上げた達成感みたいなものは経験できた。他に代えがたい経験を15年ぶりに。

 外は雨が降っているせいか、今日は朝から日差しが届かない。おかげで小説とblogを執筆している部屋は南向きなのに小寒い。膝に座布団を乗せながら文章を書いているが、気持ちだけはいくぶん暖かくなった。

 このblogを書き上げたらスーパー銭湯でリラックスしたい。そしてその後はたとえ独りでもお酒を飲むと決めている。一昨日も昨日も飲酒したが構わない。誰も何も言ってくれなくても自分で自分を褒め称えるのだ。才能が無くても怠惰な自分でも、そんな日がたまにあってもいいだろう。