淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

春雨のお彼岸

 お彼岸の中日の今日は朝から雨。実は昨日まで、自分の退職騒ぎのことで春のお彼岸に入ったことをすっかり忘れていた。
 雨が小降りになった頃合いを見計らって、我が家の墓地に車で向かった。その墓地は実家から歩いて5分ほどの距離で、我が家が檀家になっている寺の敷地内にある。父だけでなく祖父祖母も眠っている。

 雨で足下が悪いせいか菩提寺の駐車場に車はなく、墓地にも人影はなかった。春雨に濡れそぼっている墓地。映画、ドラマやアニメなどでよく描かれそうなシチュエーションだったが、人がいなければストーリーも始まりようがない。
 雨の中だったので線香を焚かずに、ただ手を合わせた。特に父親のことを思って。

 今も人生に迷っていない訳ではないが、それ以上に悩んでいた30歳のある日、亡父が素晴らしい助言をしてくれたのが忘れられない。
 その助言とは、次のようなものだった。仕事を大きく分けると、モノを作るかモノを売るかのどちらかだと。自分がどちらに適性があるか、自分はどちらが好きかを考えろ、と。
 その言葉から自分はモノを作る仕事である、エンジニアの道を歩き始めた。適性があるかは今でもわからないが。

 墓参りから帰ってきて昼食を済ますと、左胸の疼きもあって何もする気が起きなかった。リビングで横になっていると、いつの間にか寝てしまっていた。
 インターホンが鳴ったので、眼鏡もかけずに玄関の扉を開けた。自分のことを君付けで呼びかけた男性が立っていた。会社の社長だった。私服姿の見たことがない若い男性が、社長に寄り添っていた。

 社長に尋ねられた。寝ていたのか、と。調子が悪かったので、と答えた。肋骨の痛みのことは伝えなかったが。
 現場オフィスのセキュリティーカードの返却を求められたので、通勤鞄の中に入ったままになっていたカードを手渡した。
 社長はカードを受け取ると、次の言葉を残して去って行った。月末になったら保険証を返却するように、と。
 自分の退職が受け入れられたということだろう。ホッとしたというより、脱力したというのが近いだろう。

 それにしても、社長に寄り添っていた若い男性は誰なのだろう? 何故、社長は祝日である今日にわざわざ自宅まで尋ねてきたのだろう? 今まで一度も社長が自宅を訪ねてきたことなんてなかったのに。今までいくつかの会社を渡り歩いてきたが、社長どころか上司が自宅を訪ねてきたのも人生はじめての経験だ。

 父親が亡くなったのは5年前の桜の咲いたころ。その数ヶ月後に今の会社に入社した。一度は会社の規模などから躊躇したのだが、社長がしつこく誘ってくれたからだ。
 父が亡くなって5年間、仕事以外で得たことは数多くあると自認しているが、仕事に限ってはほとんど何も得ていないし、成長できたことなんてほとんどないだろう。
 だからといって、そのことをネガティブに考えているわけでもない。

時間が経てば許せることもある

 あいかわらず、胸の疼きが治まらない。ベッドから起き上がるのにも苦労する毎日が続いている。うつ伏せでも仰向けでも、左手を使って身体を起こそうとすると、激痛が走るのだ。
 寝ているだけでは症状は改善しないので、近所の整骨院で診察を受けた。今日、自分の施術を担当してくれたのは、整骨院の院長。施術中の会話で、レントゲン写真を撮ったかを尋ねられたので、昨日撮影したことと整形外科医の読影では骨に異常が見られない、と言われたことを答えた。

 整骨院の院長は施術を続けながら、怪我の様子をはかっているような感じだった。施術がある程度進む中で院長は、初日に施術を担当してくれた先生とほぼ同じような見立てを口にした。おそらく肋骨にヒビが入っている、と。
 はっきりした骨折ならともかく、肋骨の細かなヒビなどの場合は1、2枚のレントゲンでは写らないことが多いそうだ。死角が多い場所であることもあって。
 ある程度の痛みが治まるまでは2、3週間かかることも教えてくれたし、それまではスキーに行くことを控えることも言われてしまった。

 春休みに娘とスキーに行く約束をしていたので、どうしようかと考えている。

  1. ゲレンデには連れて行くが、自分は滑走しない。
  2. ゲレンデに連れて行き、緩斜面だけをひたすら一緒に滑る。
  3. 娘に自分の怪我のことを伝えて謝る。

 上記3案の中では最後の案が現実的だとは思うが、娘が一番残念がりそうなのが、正直辛いし寂しい。自分だけが雪遊びできないのであれば自業自得なのだが、娘を巻き込んでしまったことが。

 整骨院で治療を受けた後、乗鞍高原温泉で買ったお土産を持って行った。先日まで、10年以上もアルバイトしていたラーメン屋と妻の妹夫婦の家に。
 お土産とはバームクーヘン。乗鞍高原温泉のお土産として知る人ぞ知る存在となっているし、自分のまわりでもファンが何人かいる。
yumyumtree.jp
 ラーメン屋へは3箱持っていった。いつも朝番を担当している男性社員から、頼まれていたからだ。彼自身もこのバームクーヘンにはまっているが、彼の身内の何人かもこの味の虜になっているらしい。
 ラーメン屋を後にすると、その足で義妹宅へ足を向けた。

 義妹宅があるのは地下鉄駅へも歩ける距離の閑静な住宅街。近くにのんびりとした狭くも広くもない公園がある。
 インターホンを押すと、マスクをした義妹が出てきてくれた。自分もマスクをしていたので、玄関先でマスクをした男女が向き合っていたことになる。

 バームクーヘンを渡す時に、自分は彼女にふたつのことを詫びた。ひとつは彼女の長女、姪と昨年末に会った時、スキーに連れて行く話をしていたが、その約束を果たせていないこと。
 もうひとつは以前、義妹の主人、義弟が自分の娘のために頭を下げてくれたことについてだ。

 ひとつは妻と離婚しないこと。もうひとつは、娘が通っているスイミングスクールへの送迎を自分がするようにお願いされたのだ。娘が小学校へ入学する前のころの話だ。
 最初の案については当時、離婚することは考えていなかったので、その旨を話した。
 もうひとつの案に対しては、その場では彼の申し出に首を縦に振れなかった自分。今思い返しても、自分の態度が恥ずかしい。
 義弟自身が両親の離婚を経験しているので、その経験から娘の心中を慮ってしてくれた好意なのに。

 だが、後日に自分は娘に対して義弟が考えてくれたことを尋ねた。スイミングスクールの送迎をして欲しいかを。数分、娘は熟考した後に、次のように言った。いいや、と。
 彼女が言い放った時の表情はどこか晴れやかだったことが、今でも忘れられない。

 自分が一通り、謝りたかったことを話すと今度は義妹も自分と同じようなことを口にした。自分に対して謝りたかったことがある、と。思いを巡らせたが、心当たりは全くなかった。
 彼女が謝りたかったことというのは、ある年の年賀状のことだった。自分の父が亡くなった翌年に、義妹夫婦から年賀状を受け取っていたのだ。喪中だったのにも関わらず。原因は彼女の勘違いだったらしい。

 思い返すと、そのことに対して自分はかなり憤っていた。今までの身内の死の中でも、圧倒的に父の時には喪失感を覚えたからだ。
 当時から妻とは別居状態だったこともあり、義妹夫婦たちが、わざとしたのではないかと思ったほどだ。自分が取り乱した状態だったこともあるだろう。

 だが、時間の経過がそのことをいい意味で忘れさせてくれていた。今日、彼女が謝ってくれるまでは、すっかり忘れていたほどに。
 当時は憤慨していたのに、時間の経過が冷静さを自分に与えてくれたのだろう。
 彼女が謝ってくれたことを素直に受け入れることができたばかりか、逆に自分が恐縮してしまった。丁寧に謝ってもらうのが、恥ずかしいほど。

 人と人との間にできてしまった許せないヒビも、時間の経過によって埋まることもあることを久しぶりに思い直した。
 もちろん、全ての許せないヒビや傷は癒えないかもしれないが。

電子カルテのおかげで

 日曜日にスノーボードで怪我した部分が、今日もベッドで目が覚めたら疼いた。
 昨日、整骨院で診察してもらったが念のために整形外科でも受診することにした。昨日、小学校からの友人から、念のためにレントゲン写真の撮影を勧めてもらったからだ。

 他人はどうかしらないが、多数の診察券を持っている自分。確実に二桁は超している。診察券をスマホのアプリにしてくれる病院、クリニックは無いのだろうか。
 ペーパーレスになるし、患者としてもなんらかの情報が参照できるメリットがあると思うのだが。
 診察券紛失による再発行の手数料を徴収されることも無くなる。以前、ある病院で手数料を請求された時には、嫌な気分になった。亡くした患者が悪いとはいえ、せせこましい感じがしばらくは拭えなかった。

 自分が出向いたクリニックは車で10分ほどの距離。車に乗り込むときと、シートベルトが患部に触れると痛みが走ったが、諦めてハンドルを握った。
 受付で診察券を渡し、待合室で腰掛けながらスポーツ新聞を見ていた。地元新聞社のスポーツ紙なので、ドラゴンズの開幕投手のことがトップ記事になっていた。
 二面、三面と読み進めようとしていると、看護師から診察室に促された。

 お久しぶりです、院長でもある整形外科医に挨拶して診察室の椅子に腰掛けた。症状を聞かれたので、発症の経緯と傷む部分を説明すると、院長は一言呟いた。1年ぶりですね、と。昨年もスノーボードでほぼ同じ部分を痛めていることが、電子カルテに記録されていた。厳密には昨年の2月だが、以下がその時の記事だ。
hatehatehahaha.hatenablog.com
 レントゲンを撮影してもらうと、昨年と同じように読影できるレベルでの骨の異常はなく、以前に巻いてもらったバンドで患部を固定して、時間の経過を待つことを指示された。ようは日にち薬のようだ。
 振り返ってみれば、昨年もほぼ同じようなことを言われた気がするし、患部の疼きが治まるのには思った以上に時間がかかったことを思い出した。

 会社に退職を申し出た時は、今週は毎日のようにでも雪遊びに出かけるつもりだったが、思惑通りにはなりそうもない。
 多少はスノーボードが上手くなったと浮かれていたが、一年経っても同じ場所を怪我したことから考えると、スノーボードの滑走技術はそれほど変わっていないのかもしれない。

ヒビが入っている?

 目が覚めると花粉症より、筋肉痛よりも真っ先に気になった苦痛があった。それは胸の疼き。
 昨日、スノーボードで転倒した際に強打した部分が、一夜経っても症状が緩和されなかったからだ。若干強くなった気さえした。
 昨夜ベッドに入った時も、仰向けになっても寝返りをうとうとしても痛みを感じたので、眠れないかもしれないと考えていたら、いつの間にか眠りに落ちていた。

 目が覚めた後にベッドでまどろんでいても、症状が治まるはずもないので、痛みをこらえて起床した。
 簡単な朝食を済ませて、近所の整骨院で診察を受けることにしたが、移動手段で迷った。その整骨院までは自転車で行くことが多いのだが、自転車のサドルを跨ぐ時に、痛みが走りそうだったからだ。ペダルを漕いでいるときに、激痛に我慢できなくなって、自転車毎転倒してしまう危険性もある。
 車に乗るほどの距離でもないので、歩いていくことにした。

 今朝の早朝はそれなりに冷え込んでいたようだが、自分が診察を受けるために家を出た10時ごろは風もなく、穏やかな陽気だった。薄いシャツにジャンバーを羽織れば、充分なほど。
 ただ、一歩足を動かすだけでも胸に痛みが走るので、背中を丸めて縮こまり、のろのろと足を動かした。

 整骨院に着くと、朝から院長が別件で外出していたために、診察を受けるまでに30分ほどは待たされた。診察室の長椅子に座っているだけでも痛みを覚えたが、患者はただ待って治療を受けるしか選択はない。

 診察室で先生に症状を聞かれたので、格好をつけずにスノーボードで怪我をしたことを正直に話した。
 患部がかなり腫れていて、肋骨にヒビくらいは入っているかもしれないが、骨折の可能性は低いというのが先生の見立てだった。
 治療は患部や患部に近い部分を触れることは少なく、主に背部の施術が中心だった。肋骨が背骨に繋がっているので、そちらのケアをすることによって腫れている患部の腫れや痛みが和らぐらしい。
 確かに背中や首など、様々な部分を触れられているうちに痛みが、多少はマシになった。

 それが証拠に、帰宅時には背筋を伸ばして歩くことができたほどだ。自宅近くで保育士に引率された保育園児が歩道を歩いていた。怪我も病気もなければ、今日の陽気は散歩に相応しい陽気だろう。
 帰宅してすぐに自分も、昨日一昨日と二日間使ったスキーとスノーボードのブーツを玄関先で陽に当てた。

調子乗っちゃって

 乗鞍高原温泉のペンションのベッドで目が覚めると、身体中が筋肉痛。宿泊した宿は今までに何度が利用しているが、温泉の露天風呂しかないために朝風呂を味わったことはなかった。
 だが、今日は今までにないくらいの筋肉痛に襲われていたので、朝食前に入湯することにした。

 固まった筋肉でガチガチの身体を少しずつ湯船に沈めていくと、思わず声が漏れてしまうほど気持ちがよかった。身体のコリがほぐれていくのがわかった。
 気持ちのよさにぼんやりしていると、どこからかカラスの鳴き声が聞こえてきた。朝の雪見風呂とカラスの声はあまりにもミスマッチ。3月にも雪が降り積もるような高原でも、生活を営んでいるカラスのしぶとさは見習うべきかもしれないが。

 湯上がりの後の朝食はいつも以上に箸が進んだ。スクランブルエッグを中心としたアメリカンブレックファーストのプレート、納豆、味付け海苔と味噌汁という特段変わったメニューではなかったのに。
 同行している友人も、味噌汁の味付けを絶賛しながらお替わりをしていた。

 友人夫婦と自分は8時30分過ぎにペンションを後にした。それぞれ自室でスノーウエアに着替えていたので、ゲレンデに着けばすぐに雪遊びができる装いで車に乗り込んでいた。
 今日の乗鞍高原温泉スキー場は、ほとんど陽が差すことはなく、雪が朝から舞っていた。その雪は3月とは思えないほどの軽い雪だった。

 そんなコンディションのせいなのか、同行してくれた友人夫婦との一時が楽しかったのか、午前中にやらかしてしまったことがある。
 昨日に引き続き、今日も朝からスノーボードを楽しんだ。それほど斜度のない夢の平リフトを降りてからのコースで、転倒して胸部を強打してしまったのだ。胸ポケットに入れていたスマホの角が当たったらしい。スマホは無事だったが、自分の身体は無事ではない。

 それからは笑ったりするだけでも痛いし、胸部の筋肉が少しでも伸縮するだけで疼きを覚える。明朝、診察を受けるつもりだが、その前にベッドから起きられるだろうか。
 胸部の痛みがあまりにも強いために、足などの筋肉痛を今はそれほど感じていないのは、ある意味皮肉だ。

 自分は文字通り痛い思いをしたが同行した友人夫婦、特に久しぶりにスキーをした奥さんがスキーをより好きになってくれたことが、自分にとっては嬉しい。1人でも多くのウインタースポーツファンを増やさないと、ウインタースポーツの存続自体が危うくなってしまうから。

 そういえば、3月15日に営業を開始すると案内を出していた、御岳チャオはどうなっているのだろうか。HPを見る限り、何も新たな情報のアナウンスはないままだが。
ciao.co.jp