淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

助けられた言葉

 暑くなってきた。いよいよ夏が近づいてきた、
 マスヲにとって夏はむかしから1番嫌いな季節だ。
 マスヲにとって人生での1番のピンチだったとき、それは何年か前の鬱病の時だったが、病状のピークが夏だったことがさらに夏を嫌いにさせた。

 以前の記事「まったりとしたGWの1日」と「自分の体のためでも続けることは難しい」でも鬱病を患ったことに触れているが、今回はその鬱病だった時に助けられたふたつの言葉を書きたいのだが、その前にこれを機会として当時の病状のことを詳細に書いておきたいと考えた。
 
 今思うと発病の原因はいろいろな要素があったと思うが、少しずつストレスが積み重なっていたと思う。
 その中でも日本で№1の自動車メーカーのプロジェクトに参加したことがあったが、このプロジェクトは今までマスヲが参加した現場の中では圧倒的なワースト1。
 そのときに気が付かなかったが、今思い返すとそのころに少しはもう病気の兆候が出ていた気がする。

 実際にマスヲと同じ会社の同僚は先に参加していたが、しばらくするとストレスで出社できなくなってしまった。
 彼が出社しない理由を毎日、マスヲよりも上位の元受会社に理由を聞かれたりするだけでもストレスなのに、こちらまでなじられたりしたからだ。
 当然、相手も労働環境の劣悪さに因るものだとわかっているはずなのに、だ。
 マスヲの仕事環境も厳しくて理不尽なことだらけ。その上そんな対応を毎日要求された。

 余談になるが、そのときにマスヲは一生そのメーカーの車を買うことはしないと心に誓った。
 それまではこの業界で働けることがマスヲにとっては誇らしい部分もあったが、それからはただある程度のお金を手にする手段としか思えなくなってしまった。

 出社しなくなった彼を恨んだことはないが所属していた会社と社長にはそのころから懐疑的になった。のちにこの会社を辞めることになる遠因のひとつにもなっている。

 マスヲが所属するようなIT業界の下位の下請け会社には帰社日というものが、設けられていることが多い。
 普段はそれぞれ別のプロジェクトに駆り出されているために、同じ会社に所属していても顔を合わせる機会がほとんどないためだ。

 ただ、帰社日が設けられていても現場が忙しかったり、この業界特有の会社の外ばかりで働くとどうしても帰属心がなくなりがちで、マスヲが働いたどの会社も参加率は正直、あまり高くない。

 マスヲが忙しすぎて参加できなかったある帰社日の会議の場で社長が当時こんなことを言ったそうだ。
「○×君とマスヲが参加しているプロジェクトは本当にひどい現場のようです。そのせいで、○×君は調子を崩して出社できなくなってしまいました。だが、マスヲは違います。彼はもともと人の言うことを聞かないからです。皆さんもひどい現場に着任したらマスヲを見習って向こうの話を聞かないようにして下さい。」
 後で教えてくれた社員によると、皆苦笑していたそうだ。
 こちらから言わせれば、自社の社員をそんな現場に送り込んだ会社側の責任はといいたいくらだ。

 さて、話をもどして診療内科に診察を受けようとしたときは相当な勇気が行ったが、弟が大学時代に診療内科にかかっていた。
 そのときに処方箋か服用薬かを変わりに取りに行ったことがあったので、少しだけハードルは下がっていたが。

 事前にインターネットでの問診で自分が鬱病であるかもしれないと思っていたが、軽度だろうと思っていたが、診察したら軽度ではないと診察されてしまった。
 1、2週間ほど休養すれば十分かと診察中に聞いてみると、もっと休養が必要だと言われてしまった。

 今は別居している妻もずっと正規としてフルに働いていたが、出産前後だったために妻も働けなかったので、経済的にも大変だった。
 普段だったら車でいくような場所も自転車で行ったりした。ただでさえ、マスヲの住むあたりは坂が多いのに病気がピークだったときは夏だったので、必要に迫られたときは汗だくになりながら40歳近いオッサンが自転車のペダルを漕いで出かけた。

 心身だけでなく経済的にもどんどん追い詰められていった。
 人にもできるだけ会いたくなかったが、それでも家族の他は昔からの友人だけはなんとか会うことが出来た。
 そんなときにあるふたりから受けた言葉が今でも忘れられない。
 どちらもお互いに酔っぱらったときだったが、そういうことを考えるとお酒を介したコミュニケーションも無駄ではないと思える。

 ひとつ目はダイレクトな言葉だった。
 地元の小学校からの友人たちと飲んでいるときに、ある友達の奥さんがマスヲの膝を叩きながら、涙目でこういったのだ。
「死んじゃあ駄目!」
 鬱病だと話していた気はするが、マスヲはそこまで飛躍した話をした覚えはないのでびっくりしたが、友人ではなくてその奥さんにそこまで感情移入されて言われたのでびっくりしたが、それ以上に慰められた。

 ふたつ目は、さりげない言葉だった。
 マスヲが20歳前後にフリーターをしていたが、そのときの友人が東京から戻ってきたタイミングで、2人で飲んでいた時だった。
「あのころはもともと何もなかったし、何もできなかったじゃん」彼はそう言った。

 彼はひとつ年上で一緒に働いていたときは、いつもフォローしてくれていたが、代わりに当時彼が酔ったときに暴言を吐かれたことも何度かあったが、この言葉で帳消し以上だ。

 この言葉を聞いていたら、マスヲがフリーターのときなんて車はもちろん最初はお金も全然なかったし、彼女もいなかった。
 さらに与えられた仕事も今考えるとろくにできていなくて、みんなに助けられてばかりだった気がしてきた。
 そんな風に思って彼の言葉を聞いていたら、またゼロから焦らずに積み上げていけばいいのかな、と安心できた。

 酔っぱらっていたのでひょっとしたら言った本人の2人は覚えていないかもしれないが、マスヲはしっかり覚えているし、この言葉を忘れることはないだろう。
 この場を借りて、改めて2人へのお礼とさせてもらいたい。

 また、ひょっとして鬱病などの心の病気になったりした時や、今そのような病気になって苦しんでいる人がこのブログを読んでくれていたら、彼らがマスヲに言ってくれたふたつの言葉を贈りたいと思っている。

「死んじゃあ駄目!」と「あのころはもともと何もなかったし、何もできなかったじゃん」を。