淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

責任感という詭弁の言葉

 先月末日は久しぶりに定時で帰宅したが、帰りの電車内の様子がいつもと違った。
まず、酔っぱらいは皆無だ。居眠りをしている人もほとんどいない。逆に、本を開いている人が多かった。

 最近はマスヲが帰宅する時間は早くても20時ごろだ。その時間帯の電車内では本を開いている人はほとんどいない。その代わりにスマフォでゲームをしている人が目立つ。
 別にゲーム自体を否定しているわけではない。マスヲも昔は立派なゲーマーだったからだ。

 だが、昨今のソーシャルゲームの流行には違和感を覚える。マスヲにとってゲームとはエンターテイメントでもあり、カルチャーだとも捉えているからだ。
 だが、それはきちんと作りこんだパッケージゲームが前提だ。
 無料だからという理由でソーシャルゲームをしている人間の話を聞くと大抵は課金している。また、課金していない人はそのことを誇らしげに話す。マスヲにとっては何を持って誇りに思えるのかがわからない。

 マスヲも最近残業が多いので疲れている。疲れている帰宅時の電車では本を持っていても読む気がしないことも多い。スマフォで音楽を聴いたり、ネットニュースや自分のblogをぼんやり見ることが多い。

 昔、あるプロジェクトの飲み会でマスヲより年下の若いエンジニアたちが深夜にテレビ放送されているアニメを話題にして盛り上がっていた。マスヲは全くついていけず、ただ聞いているだけだった。
 話題の切れ間に何故見るのかを聞いてみた。すると彼らは次のようなことを答えた。残業で疲れて帰ったあとに難しいことを考えたくないからだと。

 残業疲れのためにアニメや、ソーシャルゲームに少ない自分の時間を使う人たちがいる一方で、定時に帰って帰宅途中に本を開いている人間との間には、日々確実に差ができるはずだ。
 だが、残業に追われて疲れ切っている社畜たちはそのことにすら気がついていないのかもしれない。まさに思考停止だ。

 経営者や世間で既得権益を握っている人たちは、社畜社畜のままに当たり前の判断や思考が出来ないような状態に追い込んでおくために、責任感という詭弁の言葉を刷り込んで残業させている気がしてならない。
 マスヲは自称仮面社畜のひねくれ者なので、そんな心配はない。