淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

天気の好い日は小説を書こう

 早朝こそ雨が降っていたが、天気予報は外れて朝はいい天気だった。風こそ強いが雲が風に飛ばされてしまうのか青空が広がっている。日があたるところにいると暖かい。暦では立冬を過ぎたので冬になったというのに。

 仕事もなく、良い天気にも関わらず今日は外出する予定がほとんどない。それは小説を書きたかったからだ。
 朝から小説を書いている。珍しく根を詰めて書いている。集中力が切れたタイミングで他ごとをしている。
 午前中には小説を書くのに飽きると町内の回覧板を隣家に渡すために表にでると、公園に植えてある銀杏の木々が鮮やかに色づいていた。陽のあたり方に差があるのが面白いようにグラデーションがついていた。
 風が強いせいか、休日には割と賑わう公園には1組の親子しか見かけなかった。

 午前中書いていて気になったのが、普段仕事後にblogを書いた後に記述した部分だ。誤字や表現がおかしいところが多々あった。
「朝は金、昼は銀、夜は銅」が無くなった父の口癖だった。確かに仕事で疲れて集中力が落ちた状態で書いた文章を、集中力が優れているゆっくり休養を取った朝に見直せば気になるのは当たり前なのかもしれない。

 今日のblogは昼食後に書いている。金ではないが銅の時間に。そしてこのblogを書き終えたら、午前中の続きの部分を書くつもりだ。客間の掘りごたつに座って障子をあけて外を見ながら。

 今日のblogのタイトルは三田誠広の著作「天気の好い日は小説を書こう」を引用した。小説を書きはじめたころに、小説教室の講師であり最近復帰した同人雑誌の主宰に読むことを勧められた本だ。
 晴耕雨読という言葉ある通り、文章を読んだり書いたりするのは天候の悪い日にと考えている人が多いと思う。かつての自分もそうだった。
 だが、この本のプロローグには心が弾むような日にこそ小説は書くべきだと書かれている。

 余談になるが独身のころのある日、今日よりももっと穏やかで天気の好い日だった。一冊の本を抱えて自転車で近くの河川の土手に向かった。
 その土手に座って本を読んでいた。ただ、それだけでも気分が良かったのだが、ある女性が歩いてきて自分と微妙な距離感で座って彼女も本を読みだしたのだ。
 彼女の容姿はまるで森ガール。ひょっとしたらそれは自分の勘違いで妄想を現実と間違えて記憶違いをしているのかもしれない。
 それでもいい。自分に取ってそれは真実だと思っているのだから…。