淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

4軒はしご酒をする前に

 一昨日と昨日は充実した週末を過ごせた。おかげで文章にして伝えたいことが幾つかあるのだが、今日は昨日の午後からのことについて書きたいと思う。

 先月末に、仕事を通じて知り合った友人が落語をするから見に行かないかと誘われた。スケジュールだけ確認して、ふたつ返事で了承した。芝居やミュージカルやライブなどを生で見るために出かけたことはあっても、落語を生で見たことはなかったからだ。

 数日すると誘ってくれた友人から日にちが違っていたという連絡が入った。初め聞いていたのは11日土曜日。だが、実際は昨日だった。11日の土曜日であれば時間に融通が利いたのだが、昨日はもうすでに副業先のバイトシフトが決まったあとだった。仕方がないのでバイトが終わった後に駆けつけることにした。事前の話ではそれでも何とか間に合うと聞いていたからだ。

 今日も寒いが昨日の日中も寒かった。15時には名古屋市内の都心のある場所に向かった。地下鉄の駅にほぼ予定通りの時間に着いたので、誘ってくれた友人にメールすると友人の出番は終わってしまったという返信が返ってきた。

やや気落ちしながらも駅の階段を地上に上がると強いビル風が吹きつけてくる。冷たい小雨が風に混ざっているので傘をさすと、横断歩道を横切ろうとするときに傘が風で逆さになってしまった。やっとの思いで約束の場所に辿りついた。

 入口で木戸銭を払うと演目が紹介された紙をもらった。もらった紙には落語という文字が一言も書かれていない。冒頭には『第一回下剋上講談会』と記してある。友人が演者となって自分にも披露したかったのは落語ではなく、講談だったのだ。

 自分が席に座ったときには最後から2番目の演者の講談が始まっていた。演目は『那須与一』。国語の教科書などで平家物語の一節としても読んだことがある人も多いのではないだろうか。与一と聞いてファイナルファンタジーの与一の弓しか連想できない人もいるかもしれないが、そのルーツは平家物語なのだ。

 最後の演者の芸も素晴らしかった。昔から歴史好きだったので、機会があれば一度くらいは講談を聞いてみたいと思っていたのだが、思わぬイレギュラーで講談を聞くことができた。全ての演目が終わると16時を過ぎていた。

 演者であった友人を待つという言い訳を用意して、講談を聞き終わった後に一緒に聞いた3人の友人とお酒を飲みだした。体を動かした仕事をした後というのもあったが講談を初めて聞いた興奮がさらにお酒を美味しくさせた。
 河岸を変えて2軒目で演者との約束の時間になったので、演者たちが集まっている居酒屋に合流した。

 最後の演者がその会の年配でキャリアも長いためか場を仕切っていた。彼は年やキャリアが上であっても全く気取ることもなく饒舌に気取らない話題をいくつも提供してくれた。

 その中でも落語と違って講談は、元の演目を一字一句間違いなくそのまま演じなくも良いということについての話が一番興味深かった。
「ジャズみたいですね」と自分が言うと彼は気分が良くなったのかいいリアクションで返してくれた。もちろんお酒のせいもあるだろう。

 その後に1軒だけはしご酒をして帰宅した。16時から23過ぎまでお酒を飲み続けていたのだが、悪酔いはしなかった。
 昨夜の帰宅途中や今朝の通勤時も講談のことが気になったのでスマフォを使ってネットでいろいろと調べていたら、興味深いことをひとつ知ることができた。大手出版社のひとつである、講談社の社名は講談に由来することを。

 今朝、昨日のお礼を友人の演者にメールをすると、是非機会があれば彼の師匠である旭道南左衛門の講談を聞くことを勧めされた。
 自分も講談に興味を持ったのでタイミングが合えば是非、拝聴したい。

 演者にメールするときと同じく4軒目までのはしご酒に付き合ってくれた友人にもメールをすると、昨夜は電車で自宅近くの駅を乗り過ごしたそうだ。
 しかも、今日もお酒がかなり残っていたことも教えてくれた。

 余談だが、自分は今日も二日酔いはしなかった。飲んでいるときは体調不良で仕事を休めがいいとはしゃぎながら飲んでいたのにも関わらず。
 今までは年に数回は二日酔いになっていたのだが、今のところ225日二日酔いから遠ざかっている。