淡白マスヲのたんぱく宣言 

40歳過ぎのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で毎日書くので気楽に読んでください。

ナルハヤ

 言葉を発信する側には自由がある。差別などに繋がらない言葉であれば、どんな言葉を選ぼうとも使う側の勝手だ。
 発信者に自由があるように受信者にも自由があるのは当然だろう。

 今の現場で最近、よく耳にする言葉がある。『なるはや』だ。辞書サイトのweblio で調べてみると、以下のように掲載されていた。
www.weblio.jp

 この言葉を初めて聞いたのはエンジニアの仕事に就いてからだ。ちょうどエンジニアの仕事に面白さを感じていたころだった。
 だが、とんでもない現場で作業をすることになってしまった。その現場とは世界一を常に争う自動車メーカーの販売管理システムの開発プロジェクトだ。
 システムエンジニアとして幾多も酷い現場に出会ってきたが、今まで参加した中では断トツのワースト1だ。

 少なくともこのプロジェクトに関わったせいで人生が変わった人を何人も知っている。ちなみに自分もその中の1人だし、同僚だった人間は精神的に追い詰められて出社できなくなってしまった。

 そのプロジェクトを仕切っていたのは自動車メーカーが持っているシステム子会社のメンバーだった。彼らは口癖のように『なるはや』を使っていた。
 初めて耳にしたときには意味が理解できなかったが、理解できるようになるとその言葉を口にした相手を軽蔑した。エンジニアであるならばその言葉を口にできるシーンはかなり限られるからだ。

 システムに限らずモノを作るのには、工数が必要だ。「なるはやでお願い」などと、作業を相手に依頼することは、その作業工数の見積もり行為を依頼主はしていないと思ってしまう。
 システムを開発するということは泥臭い細かい工程を積み上げていく行為なはずで、それらの作業ひとつひとつに正確な見積もりが必要なはずだ。システム子会社の彼らにはその意識が無さ過ぎると思わずにはいわれなかった。

 実際、そのプロジェクトは上手くいかなかった。自分が参加していた時に仕切り直しのために一旦中断となり、噂によると12億をドブに捨てたことになったらしい。
 中断が決まったときに子会社のメンバーの発言が忘れられない。「今までと同じやり方でやったのに何で失敗してしまったのだろう」、と彼らのうちの誰かが独り言のように言っていたのを。

 エンジニアであれば誰だって早く作業を行いたいと考えているはずだ。だが、それ以上に正確さを確保したうえで。
 どんな仕事でも早く正確にできれば良いのだが、スピードを優先すれば質は落ちてしまうし、質を担保しようと思えばスピードは落ちてしまうのは当然だろう。
 そんな当たり前のことを無視するように感じる言葉を自分はとても使う気持ちにはなれない。