淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

死を迎える佇まい【『人生フルーツ』を鑑賞して】

 年末からの暴飲暴食と睡眠不足のせいか、昨夜は体調が優れなかったので22時前には就寝した。11時間以上の睡眠時間を取ったが、そんなに長い睡眠時間を取ったことは、最近記憶にない。
 おかげで今朝は体調が多少回復していた。朝から自転車で氏神様への初詣と、祖父祖母と父親が眠る墓参を済ませた。

 昼食後になんとなくテレビのスイッチを入れてチャンネルを変えていると、気になる映画が放送されていた。民法の地上波で。その作品は『人生フルーツ』。
 いつの間にか作品に夢中になって最後まで見続けてしまった。

 先日、FM番組であるシンガーソングライターが昨年見た映画の中で一番気になった作品としてこの作品のことを話していたのが印象に残っていたこともあるだろう。
 あるシンガーソングライターとは竹内まりやさんのことで、彼女のことは昔からかなりのファンだ。ちなみに彼女の夫である山下達郎のことはそれほど好きではない。彼の才能には一目置いてはいるが。

『人生フルーツ』はある老夫婦のドキュメンタリー作品だ。彼らの名前は津端修一、英子。
 彼らが住んでいるのが自分の隣町であることを知って親近感が湧いた。
 2人の生活はあわあわとしているが、お互いの表情が常に優しい表情だったのが印象的だった。
 途中で先に御主人が亡くなるのだが、その亡くなった表情もそれを見つめている英子夫人の眼差しも穏やかだった。
 
 昨年から急に自分の老後や死生観について考えることが多くなったし、そのようなことを考えさせられる文章や作品に興味が湧くことが増えてきた。
 45歳を越してアラフィフになったせいなのだろうか。
 この作品を見ていてもそれらのことを考えさせられたが、作り手のテーマとしての逆説的なことも問い直された気がする。

 経済を優先しすぎることもテーマのひとつだと受け取ったのだが、修一さんは最後にやり遂げた仕事に対しては対価を受け取らなかったからだ。
 やりたいことを行うために、自分の労働対価を受け取らないことは、もちろん美談だろう。その仕事が他人のためになるならば、ことさらに。
 だが、それほどの余裕が彼にあったからだともいえるのではないか。彼は東大卒の建築士であり、公立大学の教授に着任できるほどなので、世間ではエリートの部類に入るからだ。

 残念ながら作品の最初の方を見逃してしまったので、また改めて作品を見直したいと思う。
 作品のはじまりからもう一度鑑賞したら、また違った感想を持つかもしれない。