小室哲哉が引退を口にしたことが世間を賑わせている。こんなことが世間を賑わせていること自体に辟易しているのだが。
ちなみに自分は10代のころからTM NETWORKのファンだったし、彼らが最初の解散を発表した後に『Nights of The Knife』を感慨を持って何回も聴いていたことが忘れられない。
小室哲哉に対しては詐欺事件で有罪になってからは失望している。TM NETWORKで作り上げてきた作品についての自分の評価は変わらないが、お金のために人を陥れようとしたことはどうしても自分の中では許せないからだ。
例え、それが偉才な人物だとしても。自分は彼を偉才だとはみなしていないが。
今回の騒ぎで自分が気になっている点は大きくふたつある。
ひとつは彼の不倫疑惑から一連の情報が世間で大きく扱われていること。もうひとつはある週刊誌についての非難が高まっていることだ。
ダイナミズムを持って動いている世界の中では取り上げるべきニュースがたくさんある。その中では小室哲哉のプライベートを取り上げる優先順位は自分の中ではかぎりなく低いと思っている。ひと昔前ならば、スポーツ新聞の三面記事がいいところだろう。
ある週刊誌が1人の天才を追い詰めたような意見も気になった。確かに週刊誌の記事で彼は追いつめられたのかもしれないが、引退を決めたのはあくまで彼自身だからだ。
テレビ、ラジオ、新聞やネットニュースであってもそれら間接的にコントロールしているのは大衆だ。
自分も含めた1人1人がマスコミに対してそれらの情報を提供した方が、受け手に興味を抱かせると思われているのだから。
彼を追い詰めたのは自分たちのレベルのはずだ。
自分は若い時にあるキャバクラ雑誌で短い期間だが働いたことがある。いくつかの記事を書かせてもらった。
その雑誌を出版している会社の責任者は次のようなニュアンスの言葉をよく繰り返していた。読者は馬鹿なんだからもっと馬鹿っぽいことを書け、と。
ちなみにその編集部?で働く前にはその雑誌を自分は何回も買ったことがあった。彼から見れば自分も馬鹿の1人に違いないだろう。
最後に昨日テレビを見ていたら、ビートたけしが自分に刺さるようなコメントを話してくれた。
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他の2人のコメンテーターは作家と学者だったが彼らのコメント力は少なくとも小室哲也のことについてのみは、コメディアンの彼に完敗していたと思わずにはいられなかった。