淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

節分会と

 昨日は節分。午前中、かかりつけの整骨院で診察を受けるとこの何日かで、一番身体が軽くなった。穏やかな冬の晴れ間に誘われて、自転車のペダルを漕ぎたくなってきた。
 自転車で向かった先は龍泉寺荒子、笠寺、甚目寺と並んで尾張四観音の一つ。自宅からは自転車で20分ほどの距離だ。

 門前の入口で自転車を止めて、徒歩で山門を目指した。

f:id:mobemobe617:20180204221825j:plain
山門への道、露天の数や参拝客は思ったよりもまばらだ。
 尾張四観音の今年の恵方笠寺観音。そのためにそれほどの混雑はしていないだろうと思っていたが、想像通り参拝客はそれほどでもなかった。午前中の遅めという時間もあるだろう。
 さすがに山門である仁王門まで来るとそれなりに参拝客が目立ってきた。山門をくぐり抜けて本堂で手を合わせた。
f:id:mobemobe617:20180204221853j:plain
仁王門、重要文化財に指定されている。
 帰りには露天を冷かしながら帰るつもりだったが、気が変わった。時間が思ったよりも余裕があったし、冬の青空が自分の気持ちを変えたのかもしれない。
 龍泉寺の裏手には霊園が広がっている。墓参りすることにした。
 対象の故人は自分の友人。彼とは中学と高校が一緒だったが二十歳で亡くなった。しかも、成人式を過ぎた1月だった。

 20代のころはそれなりの感覚で墓参りをしていたと思うが、最近はまったく訪れていなかった。ひょっとしたら10年以上かもしれない。
 どこの霊園でも広く個性に乏しいために、目的の墓標を見つけるのは大変だ。昨日もかなり長い間訪れていなかったので、見つけることができるか心配だった。予想に反してあっさり彼の墓標を見つけることができた。

 彼がなくなって数年間は墓標の脇にビニールバッグに入ったノートが置いてあった。墓参者が思い思いのことを綴っていた。だが、そのノートはもう無かった。
 それどころか花も供えられていなかったし、近々で誰かが訪れた気配もしなかった。彼の命日からあまり経っていないのにも関わらず。
 予定をしていないこともあり、線香もあげずに手だけあわせて帰るつもりだったが、あることを思いついた。
 階段状になっている霊園の来た道を戻った。入口近くにある墓花を販売しているお店に入った。供花を買うために。

 来た道を戻りきると供花をささげた。線香を焚こうとしてマッチを擦るが、庄内川の方から吹いてくる風のせいでなかなかうまくいなかい。マッチを使い切ってしまった。
 仕方がないので、先ほどの店まで戻った。事情を話すと店の主人がライターで火を点けてくれた。
 火を点けたままの線香を持って、また墓標を目指す。風にあおられて手にもっている線香に時折、炎が上がった。
 階段状の坂道を何度も往復もしたせいで、真冬なのに汗だくになった。
 なんとか彼に線香と花を供えることができた。線香はともかく彼に花を手向けたのは初めてだと思う。

 彼が亡くなったことは間違いなく自分に影響を与えているし、今でもそのことに関しての感じ方は日々変わり続けている。悲しいけれど、いつの日か彼のことを忘れてしまう日が来るかもしれないが、それも仕方のないことのように思わずにはいられなかった。改めて。