淡白マスヲのたんぱく宣言

淡白マスヲのたんぱく宣言 

40過ぎのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で毎日書くので気楽に読んでください。

NGワード

 仲が良い間柄だと思っていた相手から言われて面白くなかった発言は誰にでもあるのだろうか。
 自分は中学校からの友人に20代のころに言われたセリフが長い間、心に刺さっていた。俺には俺のやり方がある、と。
 お酒の席で友人の異性問題に突っ込んだ発言をしていたら、本人から切れ気味にそう返されたのだ。自分にも悪いところはあったとは思うが、彼が発したその言葉を聞いた時に、虚しさを感じたことがしばらく忘れられなかった。

 だが、40歳を超して妻との関係が破堤したころから、かつて感じた虚しさの意味が変わってきた。その言葉はNGワードだと思っていたが、マジックワードだということに考え直せるようになってきた。
 寂しいけれどどんなに仲が良い友人や家族でも、結局は他人。痛いことや痒いことさえ、変わってあげることもできないのだから。
 歳ととともに他人に対する距離感を良い意味で肯定できるようになってきたのだろうか。
 妻と一緒に暮らしていたころに良く言われていたことがある。あなたは人との距離が近すぎる、と。最近になってよく思う。本当に良い助言をしてくれていたと。

 昨夜、中学校からの友人たちとお酒を飲んでいた。名目は今年の花見についての打ち合わせ。結局はいつものようにお酒を飲みながら言いたいことを言いたかっただけのつもりで集まったのだと思う、お互いに。
 花見の開催時期のことから話が少し脱線したときのことだった。一男一女をもうけている友人に対して、自分の発言が相手の機嫌を損ねてしまった。
 すると、友人はお返しに次のような言葉を返してくれた。お前だけには言われたくない、と。

 このセリフに久しぶりに凹んだ。お酒を飲んでいたのにも関わらず、なかなか寝付かれなかった。
 小学校から高校まで一緒に過ごし、なおかつ自分と妻の関係さえもある程度理解してもらっているつもりだったから猶更だ。
 確かに自分が彼に投げかけた言葉の背景は、彼に比べると自分の実績のほうが僅かだし、薄っぺらい。

 だが、人間は自分が経験したことやそれに準ずる情報がないかぎり、それに関した言葉を口にしてはいけないのだろうか。それがどんな相手であっても。
 確かに同じようなニュアンスであっても言葉の選び方やタイミングもあると思うし、そういったことを鑑みるデリカシーが自分に欠けていることもわかってはいるのだが………。

 同じようなことを広げて考えてみる。世間の大部分の人がかなりのことを言えなくなってしまうし、話し合えないのではないかと。
 例えば、少子化の問題を話し合うことができる資格があるのは子供を育てたことがある人だけとなってしまう。
 そうなってしまうと、人間の想像力の必然性が問われることにもなる気もするが、どうだろう?
 昨夜、自分に棘のように刺さった言葉もいつかはNGワードでなくなる日がくるのだろうか。