淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

Home & away

 女性の友人が愛知県から隣県に嫁いで苦労している。旦那や旦那の身内と反りが合わないことをよく愚痴っているが、言葉にできない苦労を彼女が抱えていることに、ある日自分は気が付いた。
「awayだからね」と自分の口にした言葉に彼女はかなり慰められたようだった。
 自分はどちらかというとズボラでデリカシーにかけているだろう。だが、自分が痛い思いをした経験の一部から多少は人の気持ちを慮れることもたまにはあるようだ。

 『away』という辛さをより自分が意識するようになったのは今の仕事、システムエンジニアになってからだ。
 その前にはいくつかの職種を渡り歩いてきたが、それらの職種の仕事場所は基本自社内の敷地だ。
 トラックのドライバーの仕事もしたことがあるがトラックは自社の所有物だし、配達や集荷が終われば自社の営業所に必ず戻る。

 今の仕事は自宅から現場に直接出かけ、仕事が終わると直接家に帰宅する。自社と物理的な繋がる日は月に一度もないことも珍しくないし、1年でも数回ほどだ。
 辛うじて現場に到着したときと、現場を後にしたときに会社の上司に毎日報告のメールを送ることだけが、自社との関りだ。
 ちなみに、自社からメールアドレスと名刺は付与されているが、社員証や社章はともかく会社内に自分のデスクはない。自社内に自分の居場所はないのだ。

 システムエンジニアになってからもいくつかの会社を渡り歩いてきた。中には上場している会社もあったが、『Home』だと感じさせてくれた会社は一社もなかった。ちなみに今勤めている会社も、だ。
 今の現場でもそうだが、場合によって自社の名刺を出せないことはしょっちゅうだし、同じ仕事をしていても相手によって自分が所属している会社名を考えて名乗らなくてはならない。
 今であれば、相手がTMCであれば某NECの所属である振りを、相手が某NECであれば自社との間に入っている会社名を口にしなければならない。
 そのせいでときには、その場では相応しくない社名を口にしてしまうこともある。
 カメレオンのように、上手く立ち回らなければならないが、気持ちまでまわりの環境に合わせて色を変えることは、不器用な自分には難しい。

 正直に言うと自分は『Home』という気持ちを20年近く感じていない。生まれ育った実家はある事情があって20年前に建て直された。建て直された新しい実家には自分の部屋がないために、訪れてもどこか落ち着かない。

 今は自分が立てた持ち家に住んではいるが、住みはじめたころから一度も『Home』だと感じたことがないのは何故だろう? さすがに『away』だとは感じないが、『Home』だと感じて心から自宅でくつろぎを覚える日は来るのだろうか。