淡白マスヲのたんぱく宣言 

40過ぎのおっさんのエッセイ。昨日より、今日見たことや感じたことを毎日書きたいと思っています。

365

 昨年の4月10日から始めたこのblog。今日で365日目、365個目の記事になる。
 怠惰で飽きっぽい自分が、一年も毎日blogを書き続けることが出来たとは、我ながら驚きだ。
 さきほど、それを祝してビールを飲んだ。自宅で独り、お酒を飲むことは珍しいが、今日は素直に飲みたくなった。

 このblogについて取り上げるテーマに縛りはない。敢えていうなら、エッセイというより自分の雑記に近くなっている。
 毎日文章を書くことを自分に課したのは、あることを上手く文章にできるようになりたいと望んだからだ。
 自分が感じた感覚、印象。もっと踏み込んで言うならば自己の心理描写。そして、自分が見たものの写実的な描写。

 残念ながら、自分には絵心が全くない。そのことに気がついた時には、その原因が自分の手の不器用さにあると考えていた。
 幼少期の塗り絵でも塗りたい場所から、よく色鉛筆の色がはみ出した。
 クレヨンで絵を描いても当然のように線をまっすぐに引けない。手が他の子供よりクレヨンで汚れても。
 小学校になり、水彩画を図画工作の時間に書くようになっても、ただ自分の不器用さを再確認するだけだった。

 だが、数年前に自分の根本的な欠点を理解した。
 数年前にミラーレスの一眼レフカメラを購入した。購入特典としてカメラメーカー主催による、プロカメラマンによる一日の写真教室に通ったことで。
 教室の後の休日など、自分なりにカメラを持ち歩いて数多くシャッターを切りまくったのだが、感心するような写真は一枚もなかった。
 ただ、教室の中で講師が写真はカメラという道具を使った絵である、という言葉だけが自分に強く残った。結局自分には絵心が無いことを思い知らされただけだ。

 絵が描けないのであれば、自分が見たものを記録に残す手段はもう文章しかない。そう考えて、物事を写実的に捉えた文を書きたいと思って毎日、ただ文章を書き続けているが、今のところあまり成果が上がっている気がしない。

 では、blogを書き続けて何か成果はあったのだろうか。自分では、ある言葉の使い分けの壁にぶつかったことが大きいと、自惚れている。
 その言葉とは『思う』、『感じる』と『考える』だ。一応、このblogはエッセイとして謳っているので、毎日何かしらの自分の思考や所感を書くことになる。
 そのことが思考なのか、それとも感じたことなのかを正確に分析する必要があることが少しずつ気になり出した。

 目の前の女性は魅力的だと思う。
 目の前の女性は魅力的だと考える。
 上記のように比べて書くと、読み手に伝わる印象が違うことに気がついた。
 それまでは『思う』、『感じる』と『考える』の区別を意識せずに感覚に身を任せて使っていたことが浅はかだったとしか言いようがない。

 自分で読み返しても誤字脱字が今でも多い。文章技術も拙い。
 だが、自分が気になることを思いつくままに文章にすることが楽しくなってきた、この頃だ。