20代の後半のころ、シンガーソングライターの古内東子さんが好きだった。彼女の歌う切ない世界観が。
最初に好きになった曲は、『逢いたいから』。この曲の歌詞は男性が主人公。
作詞した東子さんは女性なのに、どうして恋をした男性の気持ちを代弁することができるのがが、不思議だった。
彼女の作品で好きなものはいくつもあるが、今の季節になると聴きたくなるのは、『Peach Melba』。
春の4月が、歌詞で描かれているからだ。
以下にこの曲の歌詞を参照できるサイトを紹介しておく。
www.utamap.com
この曲は聴き込むほどに、切なさが深くなっていく。それなりに歳を重ねて大人になるほどに。
歌詞の中の『きっと誰も悪くはないのに』という部分が特に心に刺さる。
世の中は当たり前のように、理不尽なことが多い。恋愛においてでさえも。
ただ、その理不尽な原因をどんなに追及しても、決して誰のせいにもできないことも、ままある。
恋した人はその切なさから逃れたいために、誰かのせいにしたくても時には本人にブーメランのように帰ってくる。
人のせいにできないことがわかってしまうと、その切なさを何倍にもして。
この曲のタイトル『Peach Melba』。実際にある香水だと思って買い求めようとする人が少なくないようだが、実はこの歌詞のために東子さんが作り上げた架空の商品らしい。
自分もてっきり、その名前のフレグランスがあると思い込んでいた。
自分が古内東子さんの曲を聞くことが少なくなったのは、ある女性が原因だ。その女性は自分の妻。
付き合っているころに、自分の車のステレオで聴いていると彼女の趣味に合わないらしく、なにかと嫌みを言われたことを覚えている。
別居して数年になるので遠慮することなく、今では東子さんの曲を聴ける。久しぶりにドライブしながら彼女の歌声を聴きたくなってきた。
彼女の曲を長い間聞かなくなったこともあり、彼女自身の近況も全く知らなかった。
気になって調べてみると、結婚して子供までいることがわかった。彼女と自分の年齢が近いことは覚えていたが、自分と同じということに驚いた。
昔は知っていて忘れたのか、当時も知らなかったのかも定かではないが。昔は何回かライブにも足を運んだほどのファンだったのにも関わらず。
独り暮らしなので、時間の自由はきくので、久しぶりに彼女のステージを直接見るのも悪くないかもしれない。