今朝、radikoのタイムフリーで昨日放送された番組を聴いていた。その番組とは福山雅治がパーソナリティを務めている『福のラジオ』。
福山雅治が若いリスナーからの質問に答えるコーナーで他の出演者である構成作家、今浪祐介とのかけあいが面白かった。
それだけでなく、いい意味で引っかかりを覚えたので、その部分を中心に繰り返し聴き直したくらいだ。
4月から女子高生になったリスナーが、新しい人間関係に溶け込むために勇気を持って努力しようとするが、上手くいっていないので、番組にアドバイスを求めていたのだ。
福山雅治は自分で人見知りと話していた。彼ほどの2枚目だったら人見知りでも、人が集まってくるので問題ないだろう。実に羨ましいが。
人見知りの彼が、相方である今浪さんに質問してきた女子高生へのアドバイスを振った。放送作家である彼は人見知りではないように、福山雅治からは思われていたからだろう。
今浪さんによると、特別なことを考えて話しかけないそうだ。そのことをパーソナリティからはまぜっかえされていたが、中身が無い会話でいいんだ、と。
今浪さんはそんな言葉にもめげずに、「どこの中学校?」とか簡単なことを話題にして話しかければとアドバイスを送っていた。
そんな中身のない浅くて薄い会話は自分にはできないと、福山雅治に笑われながら冷かされていたが。
質問した女子高生に少し寄り添って考えてみる。どちらかというと、まわりからは自分も人見知りではないと思われることが多いし、多かった。特に10代20代のころは。
だが、自分では初対面の相手に対してかなり気を使ってきたつもりだ。
では、何故まわりからそう思われないのか。自分から話しかけることが多いからだろう。今浪祐介のように。
彼と同じように軽くて何も特別意味のないような言葉でジャブを打つ。そのジャブに対して話しかけた相手の様子を自分は伺っているのだ。
ジャブを嫌がらずに間合いを詰めてくるのか、嫌がって距離を取ってくるのかなどを。
それでも相手の様子が伺えないのであれば、さらにまたジャブを打ち続ける。しょうもない会話と例え相手に思われたとしても、気が小さいからそれ以上に相手のことをより知りたいからだ。
今浪さんをさんざんイジッタあとに福山雅治も、最後にはパーソナリティらしく、冗談っぽくも話をまとめた。薄い会話自体には何も意味もないが、人間関係を潤滑にするためには意味があるし、必要であることだと。
また、今浪さんのような薄い人がまわりにいないかを探すことも質問者である女子高生に促していた。
自分も充分過ぎるほど薄い人間だと思う。この番組を聴いた人見知りだと感じている若くて魅力的な女性が、近づいて来てくれればと妄想してみる。
来週の前半くらいまではその妄想で退屈な日常の気持ちを紛らせてみたい。