システムエンジニアだが、自分はプログラムを読むのも書くのも嫌い。
それでも、今の現場では久しぶりにプログラミングをしている。その前にコーディングをしたのは2015年11月なので、ほぼ30か月ぶりだ。
現場に参入する際の面談で、お客に見せるサンプルの画面程度は作ってもらうという話は聞いていた。その話を聞いただけで、実際は断ろうかと思ったほどだ。
この歳になると、どんな人にも得手不得手があることを思い知らされる。自分には圧倒的に不得意なことの方が多いのだが。
自分が辛うじて嗜んでいるプログラム言語はJavaとPHP。考えてみるとここ最近、PHPを書いたことも読んだこともない。
自分の技術経歴書から調べてみたら、直近でPHPに触れたのは2013年6月。もう、5年も過ぎている。
自分が今の業界を志したのは30歳のとき。ハローワークの紹介で、職業訓練を受けたのがきっかけだ。
その際にITの知識が全くなかった素人の自分に、『いろは』を教えてくれた講師がいる。彼のおかげで今でもご飯を食べていられるのだから、自分にとっては恩人でもある。
そんな恩人が次のようなニュアンスのことを、ある日の講義で話してくれた。この業界ではプログラマー35歳定年説が流布しているが、自分はそんなことは信じていない、と。彼はその当時40代だった。
自分も35歳を過ぎたころは、全然限界だとは思わなかった。自分に実績がなかったのでそんなことを思う余裕もなかったし、20代の自分と比べることも経験がないため不可能だったからだ。
だが、今の現場で本格的にプログラムと格闘し始めて3日目。最初の2日は本当に辛かった。サンプルコードを見ても作るべきシステムのイメージが全く湧いてこなかったからだ。
今日になってようやく、キーボードを叩くことが増えてきた。だが、左隣に座っている20代の女性のタイピングによって発生しているビートが、早く感じてしまうのは気のせいではないだろう。
ある程度の資質と自己努力があれば、定年までプログラミングを続けられる人もいるだろう。
だが、自分には適正もないし、怠惰なので定年まではとても無理だろう。それどころか45歳の自分が、今の現場で戦力になっているのかも疑わしい。
だからといって、自己否定している訳ではない。今の現場に参加するときに、自分の経歴と短所は隠さずに話しているのだから。
自分の能力に問題があるのであれば、プロジェクトに自分の参加を決めた人間が、責任を負うべきだと考えている。他人に責任転嫁と後ろ指を指されても、それが正論だと信じている。