一応、父親のマスヲ。父の日に何かしてもらったことがない。娘に父親らしいことをしてやっていないので、因果応報だろう。
6月の第3日曜日に家族から寂しい扱いを受けている父親は、自分以外にもむかしから多い気がする。
母の日と言えばカーネーションを思いつく人が多いと思うのだが、父の日に花を連想する人はどれくらいいるのだろうか。
父の日に贈る花は黄色いバラだ。自分はむかし、生花業界に勤めていたので知っている。
母の日前のカーネーションに比べると、父の日前の黄色いバラの売れ行きはあまりにも寂しいものだった。
自分も亡くなった父親に、プレゼントはともかく言葉で感謝を示したこともほとんどなかったのではないだろうか。男同士なので照れくさいという気持ちが働いたからかもしれないが。
母の日に毎年花をプレゼントしているのと差は歴然だ。
実家に居たころは、父方の祖父母と同居していた。父はほぼ毎日両親の顔を見ていたことになる。
だが、父が両親のアニバーサリーに特別なことをしていた記憶が全くない。父の日、母の日はともかく祖父母の誕生日にも、だ。
世間でよくあるパターンの通り、母と祖父母は折り合いが悪かった。母親が祖父母のことをよく愚痴っていたことを覚えている、父親は母のことを気にしてわざと表面上は冷たく接していたのかもしれない。
祖父母から見れば自分は最初の内孫だったので、随分と可愛がられた。自分も2人にはそれなりに懐いていたと思う。
父親が車の免許を持っていなかったせいもあり、祖父の運転するライトバンでよく一緒に出掛けたことが思い出になっている。
泊りがけで温泉にもよく一緒に行った。今の時期だと新城までお茶を買いにいくのに、何度かついていったものだ。
そのせいか、祖父母の誕生日はよく記憶していた。父の誕生日もなんとなく覚えていたが、それにひきかえ母の誕生日をしっかり記憶するようになったのは、自分が結婚してからだ。
ちなみに、昨日は自分の誕生日でもあった。40歳を過ぎたオッサンがひとつ歳を重ねただけだが、あるお店のスタッフにお願いしてお祝いしてもらった。
ケーキどころかろうそくまで用意してくれていた。他の店のスタッフだけでなく他のお客さんまでもが歌まで歌ってくれたのが照れくさかったが嬉しかった。自宅で独り居るよりは、断然楽しい夜だった。
みんなありがとう。