淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

関市上之保まで出かけた目的

 昨日までの3連休は予定があったために、今日まで自分がしたかったことを先延ばしにしていた。それは、災害ボランティアに参加すること。
 きっかけはTwitterのあるツイートを見たのがきっかけだった。広島県の被災者が状況をつぶやくというよりも、叫んでいた文章が自分の何かに訴えたからだ。
 広島には仕事にも行ったことがあるし、かつて自分が書いた小説の舞台にもしたことがある、思い入れのある街だったこともある。

 広島に向かうことを考えて情報を集め出したが、自宅から遠方であること。宿泊先の確保することなどの問題を考えて断念した。
 平成30年7月豪雨での被害状況を調べると、隣県である岐阜県も被災地であり、災害ボランティアを募集していることを知った。募集地は関市の上之保地区であることも。
 関市には奥美濃方面へゲレンデに行く際には、通過しているために多少は馴染みのある街だったが、上之保という地区名はピンと来なかった。スマホのアプリで調べると自宅から70㎞ほどの距離。車であれば余裕を持って日帰りできることがわかった。

 今朝の7時30分過ぎに車で自宅を出発した。500㎖のペットボトル2本、軍手、タオルと長靴を持って。マスクは途中、コンビニで買い求めるつもりだった。
 平日の通勤時間の割に道中は空いていた。酷い渋滞にも捕まることなく、岐阜県に入った。関市まではスキーに行くときに走り慣れた道だったので、マスクを購入する店もある程度の目星をつけていた。県道沿いのある交差点のコンビニを考えていたのだ。

 寄り道する予定のコンビニが見えてきたが、駐車場が閉鎖されている。それどころか、コンビニが営業していない。
 仕方がないので先を急ぐ。次に見えてきたコンビニも営業していなかったが、店内で作業している人たちの姿が目立った。また、お店の正面に次のような掲示がされていた。『18日の営業を目指しています』、と。
 コンビニの営業さえ阻まれるほどの災害があったことが、わかりはじめた。このコンビニを過ぎた辺りから、歩道などの道路端に泥や砂などが目立ち始めた。

 9時20分過ぎにボランティア参加者のための駐車場に到着した。
 車を駐車後に、ボランティア受付がある関市上之保老人福祉センターへ歩いた。
 まずは、仮設テントで受付をする。受付を済ますと名前と血液型の記入欄があるシールを受け取って、そのシールに氏名と血液型を書いて、自分の服の目立つ場所にはることになっていた。だが、作業中に多量の汗のために、何度もこのシールが剥がれかけることになるとは、この時には思ってもいなかった。
 ボランティア活動保険に加入していない場合は、保険に加入する。保険は来年の6月まで、どこの災害ボランティアでも有効とのことだった。加入金は500円、手弁当なので当然自費。
 ここまでで受付は終了だ。後は作業の割り振りを待つだけだ。

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保険金の預かり書。これで来年の6月まではボランティアへ参加できる?
 自分は排水溝の砂出しを手伝うことになった。ある宅地の一件分の長さを10人のチームで作業した。女性が7人で、年齢構成は自分が、ダントツで最年長。30代前半までの女性が多かった。しかも、皆感じが良い人たちばかりだった。
 関市内からの参加者はもちろん、県内の方が多かったが自分以外にも県外からの方もいた。長野県からビジネスホテルに宿泊して泊まりがけで来ているらしい。

 作業は日陰のない炎天下。スコップや鍬などを使って、完全に埋まりきって他の場所と区別がつかないほどの、排水溝を掘り返していく。
 作業を始めると5分もしないうちに、全身の汗が噴き出した。
 作業は20分したら10分の休憩を取ることが指示されていたが、自分は休憩までが本当に長く感じた。タオルで頬被りしながら作業をしたが、汗が噴き出すためにほどいては汗を拭う、の繰り返し。かけていた眼鏡も汗ですぐに視界不良になるほどだった。

 こういった作業に慣れていた参加者がチーム内に多かったのだろう。女性の何人から塩飴を頂いた。塩飴にも個性があるのにも驚いたが、口にいれると驚くほどに美味しく感じた。
 大きなスコップよりも小さなスコップ、スコップよりも鍬の方が作業を効率的なことも、ある女性が教えてくれた。

 作業を始めて30分ほどで土砂に埋もれて他の場所と区別がつかなかった場所が、排水溝であることの区別がつきかけた。
 1時間30分を過ぎるころには、排水溝の全容が姿を見せはじめた。
 この頃になると、自分はもうフラフラだった。多少、同年代の男性よりは体力に自信があった自分。そんなものは自惚れだったことを思いしらされた。
 着ていたTシャツはともかく、自分が履いていたジーパンは汗で水浴びでもしたかのように濡れていた。
 ただ、休憩中や作業中でもまわりの女性たちとの何気ない、会話に自分はかなり激励されたと思う。
 排水溝を塞いでいた大きなブロックを手で持ち上げてだしただけで、彼女たちが感嘆な声を出してくれただけでも、どれだけ自分が救われたことだろう。
 本当のところ、チーム内の20代30代の女性にはどのように思われていたのかはわからないが。

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自分が参加したチームの作業場所、川沿いの宅地だった。今日はきれいで穏やかに川は流れていた。
 ボランティア作業自体は炎天下での作業による二次災害の危険も考慮して、12時30分までと決められていた。
 自分たちの作業もそれまでに終わったので、正午前には受付に戻った。作業のために借り受けた、一輪車2台とスコップや鍬などを持って。
 受付では冷やしたタオルとスポーツドリンクを提供された。どちらも考えていなかったことだったので、心に染みた。特に冷たいタオルで顔や首筋を拭いたときの感覚は今でも残っている。

 帰るために駐車場に戻ると、車は少なくなっていた。長靴を草履に履き替えて車のエンジンとエアコンをかける。
 お昼に食べようと用意しておいた菓子パンを食べる気が起きないほど、食欲が珍しく落ちていた。
 帰り道に考えた。今日のblogに何を書くのかを。当初は昨日、ある場所にまでドライブしたのでそのことを書き綴るつもりだったが、考えを変えた。
 自分が今日ボランティアでの作業が、どれだけ被災者のためになったのかはわからない。たいして、力になれなかっただろう。
 だが、今日自分が見たこと、作業して感じたことを文章に書き、1人でも多くの誰かに読まれることに価値があると思ったからだ。
 そんなことを考えて運転をしていると、道路に立っている温度計が目に入った。温度は40℃を表示していた。明日も暑くなりそうだ。