淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

いくつもの物語に気づいた4日間

 平成30年7月豪雨の関市上之保地区に開設されたボランティアセンターが、昨日閉鎖された。
 開設されたのが7月9日だったが、そのころは自分が住む隣の県の関市に上之保地区があることさえ、知らなかった。
 だが、些細なきっかけで被災状況を知り、17日からの4日間、現地での作業に参加させてもらった。その間、自分の前を何人もの人たちが通り過ぎていった。そんな人たちから、いくつもの物語を知ることができたので、書き残しておきたい。

 まだ、訳もわからずに参加しただけの初日。炎天下の中、屋外の作業だったのにもかかわらず、10人中7人が女性だったこと、しかも全員が30代以下だったのが印象に残っている。その中のある女性の話が興味深かった。
 彼女は既婚者で子供が居た。前日はご主人がボランティアに参加し、当日はご主人が家で子守をして、彼女がボランティアに参加していた。
 同じ被災地でのボランティアを経験したために、しばらくは夫婦の会話が弾むだろう。
 被災地での状況やボランティア活動のことを両親が会話しているのを聞き育つ子供は、どのように成長するのだろうか。

 二日目に伺ったあるお宅は、普段は不在だった。依頼主であるご主人の母親が亡くなったあとは、空き家になっていた。
 現在、ご主人は夫婦で関東地方に在住。年齢を重ねたら、この家で住むつもりだったが、被災したので迷っているようだった。
 ご夫婦には自分よりも、二歳年下の息子さんがいることを、ご主人が教えてくれた。少しは自分に親近感を抱いてくれたかもしれない。
 当日、奥さんは見えたが息子さんの姿がなかった。3連休中などはお手伝いに顔を出していたのだろうか。

 三日目の作業場所は、ある釣具屋から津保川への道路。
 初日、ボランティアセンターに向かうときから、幾人もの鮎釣り師の姿を見てきた。
 初日から今でも、被災地に外部の人間が訪れてお金を消費することが、現地の復興になると考えている。また、被災した釣り師だったことも。被災者も気分転換だって必要だ。
 当日も、頭ではそう考えていたが、その日の作業が4日間で一番キツかったこともあり、釣り師に対して複雑な気持ちを抱いた。理論と感情がせめぎ合っていた、自分の器の小ささも思い知らされた。

 四日目に伺ったあるお宅は、後期高齢者に見えた男性の独居。途中から娘さんがお手伝いに見えた。
 作業を続けていると、年配の男性が顔を出したが、すぐに去って行った。
 自分より年上のボランティアが娘さんに、その男性が旦那さんかと尋ねていた。自分も気になっていたことを聞いてくれたが、違っていた。
 思い出があるために、何かを捨てるのにこだわる父親。それに対してなるべく廃棄するように促す娘。
 今後の状況によっては、一緒に同居することも視野に入れているようだが、果たしてどうなるのだろう?

 他にも興味深かったエピソードが多々あった。ボランティア参加者、被災者問わず。
 ひょっとしたら、自分がボランティアに参加したことも、参加中に通り過ぎていった人たちに、物語を提供していたのかもしれない。