淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

40℃を超えたから美術館に行ってきた?

 昨夜の仕事帰りに、名古屋市美術館に行ってきた。美的及び芸術的センスがないマスヲが、似合わないところに足を運んだのは、40℃を超した昨日の気温のせいかもしれない。名古屋で40℃を記録したのは、観測史上初のようだ。

 名古屋ボストン美術館や愛知県立美術館には足を運んだことがあったが、名古屋市美術館には訪れたことがなかった。同じ白川公園内にある、名古屋市科学館には子供の頃に訪れて、プラネタリウムを楽しんだのが良い思い出になっている。

 足を運んだ理由は特別展の『至上の印象派展 ビュールレ・コレクション』を鑑賞することが目的だった。
www.buehrle2018.jp
 彫刻や立体オブジェなどには興味を持てないが、絵画には多少の興味がある。といっても、東山魁夷日本画印象派の作品くらいにしか、強い関心は無いが。
 ビュールレ・コレクションについて自分が説明すると、恥をかくので、興味がある方は以下を参照して欲しい。
www.myswitzerland.com
 地下鉄の伏見駅から歩いて美術館へ向かった。観測史上最高の気温を更新した日の、都心の夕暮れは歩くだけでも汗ばんできた。伏見通りを南下しながら裏路地へと折れながら、白川公園を目指した。
 白川公園に近づくと、名古屋市科学館の奇抜な外観が迫ってきた。科学館の前を通り過ぎると、名古屋市美術館の外観が見えてきた。

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見るだけでインパクトのある名古屋市科学館の外観。
 科学館に比べると、初めて見る美術館の外観のパンチは弱い。
 観覧者の列もなく、どこが入り口か、近づくまで分からなかった。
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名古屋市美術館の入り口
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入場券の半券、イレーヌが愛らしい。
 入館してコインロッカーに鞄を預けた。ちなみに、入館者の利用は無料だった。美術館や博物館で館内を歩き回って展示物を鑑賞するのに、荷物を持っていると疲れてくるし、他の観覧者にも当たることもあり得るので、ロッカー代金が無料なのはうれしい。
 あえて言うと、観覧者の割にロッカーの利用率が高かった。週末の日中などは、ロッカーを利用するのは難しいかもしれないので、できればロッカーを増やしてもらえると、入館者にとっては嬉しいはずだ。

 特別展の入り口は階段を上がった2階。荷物も預け、身軽にもなり、しかも館内は冷房も適温で調整されていて快適だった。
 作品の中で自分が最初に気になったのは、アントーニオ・カナールの2枚の風景画だ。昨日まで、名前も知らなかった作者の作品が気になったのだ。
 その作品はどちらも空と運河の水の対比、船や人々などが描かれていて、見ているだけで何故かセンチメンタルになってきた。
 それは作者が作品を作るときに観覧者がそう感じるような意図があったのだろうか。絵心がない自分にはまったく想像ができないが。

 次に目が止まった作品はモネの『ヴェトゥイユ近郊のひなげし畑』。
 赤の点描で描かれたヒナゲシの花に目が奪われるが、その赤を際立たせるために、空や他の景色が寒色を中心に表現されている。
 もちろん、モネ自体がコントラストを意識したのは間違いないだろうが、それ以上に何かしらのメッセージ性はあるのだろうか。自分が気づけないだけで、他の観覧者は分かっていたのだろうか。

 もちろん、この特別展の目玉であるルノワールの『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』も目にとまった。
 写真で見るのと違って、作品の本物を近くで見ると、イレーヌの肩までかかる髪の毛の柔らかさが伝わってくる。触りたくなるくらいだった。

 館内を順に追って、セザンヌの作品辺りまでくると、間違いなく絵だと思った。写実的ではなく、作者の意図を表現するために、フィクション性が強まっているのを感じた。
 ゴッホゴーギャンの作品には、尚更同じようなことを。

 特別展の最後はモネの大作、『睡蓮の池、緑の反映』。
 この作品だけは写真撮影も自己責任を追うことでSNSなどへの投稿も許可されている。
 そのせいか、この作品に近付くとスマホのシャッターを切る音が響いていた。自分も数枚、撮影させてもらったが、自分の撮影技術はもちろん、スマホカメラの性能不足を思い知った。

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ミラーレスの一眼レフを持ってこなかったのが悔やまれた。
 背の小さな少年が親のスマホで大人たちを避けながら、一生懸命構図を考えていたが、決まらないようだった。
 自分は想わず彼に話しかけた。無理に高い位置で撮らなくても、屈んで低い位置から撮れば、君にしか撮れない面白い写真になるかもしれないよ、と。
 すると、彼は構図が決まったのか低い姿勢で少しずつ動きながら、何回もシャッターを押していた。
 それを見ていた母親と目が合うと、軽く会釈されたので自分も照れながら軽く頭を下げた。
 絵も写真も何も分かっていない自分が出過ぎたことをした気もあって、少し恥ずかしくなったが。
 だが、彼の夏休みの思い出のひとつになれば幸いだ。

 自分が印象派の作品に興味を持ち始めて10年は過ぎているだろう。だが、今回の特別展では、今までと違う感じ方をしたように思う。
 作者が何を思って創作したのか、架空の鑑賞者を設けていたのか、作品を通して伝えたい物語、テーマやメッセージ性の有無などが存在したか、などだ。

 あと、作品には直接関係ないが、作者や作品についての説明書きの文章も気になった。どのような人が書いているかもだが、どういうモチベーションで誰に伝えたくて書いているのかも。
 今まで、何度か美術館に足を運んだことがあったが、そんな考えに至ったのは初めてだと思う。

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観覧者全員に配布されるポストカード。あと、もう一種類あるらしいのだが。
 自分の価値観が豊かになっているとは思っていない。ただ、自分の価値観が変化しているのではないかと、いつの間にか考えていた。
 白川公園近くのセルフサービスのうどん屋で、ポテトサラダとかき揚げの天ぷらを肴にして、瓶ビールを独り飲みながら。