淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

平成最後のお盆が過ぎていく

 昨夜の就寝時、久しぶりにエアコンをかけなかった。
 8月になってからは、毎日エアコンを使用していた。最後にエアコンを使用しなかったのは、7月の何日か思い出せない。

 今日から、通勤時に使用している私鉄も平日ダイヤに戻ったが、駅の自転車置き場は空いていた。電車の運転本数が増えたので、今年の朝の通勤電車で一番空いていた。

 途中からは座席に座ることも出来た。車内に人が少ないために、向かい側の窓ガラスから車窓も広く見渡せた。
 自分が通勤時に乗車している電車は都心に近付くと、高架を走る。
 薄暗い低く垂れ込めた雲のせいで、高速の高架やビルが空に近く見えた。

 先日、最初に勤めた会社でアルバイトをしてくれていた友人と久しぶりにお酒を呑んだ。
 それがきっかけだと思うのだが、その日からその当時の仕事をしている夢を二度も見ている。
 しかも、夢の内容が詳細でリアルなのだ。自分が出来ないことが多く、上司やまわりの従業員たちに怒られたりからかわれたりしている内容だ。

 夢から覚めた2回とも、ほぼ同じようなことを思った。その頃に比べれば、自分は何かしら積み上げているはずだと。
 もちろん、得たものがある一方で失ったものもあるはずだ。その失ったものとは何だろう? 今は気がついていない。
 気がつくとしたら、そのときには失ったものの価値に気がついたときかもしれないが。

 今、網戸を開けっぱなしでこの文章を書いている。虫の声と風が木々を吹き抜けていく音をバックに時折、遠くから踏切の警報器の音が聞こえてきた。風の向きと強さのせいだろうか。

 最初に働いた会社のある先輩が、この時期になるとよく口にした単語を思い出した。それは、土用風。
 外で力仕事をすることが多い仕事だったことと、お盆前が繁忙期だったこともあって、毎年夏は辛かった。今よりも体力があった20代の自分でも。

 先輩はそんな自分を慮って言ってくれたのか、それとも自分に言い聞かせていたのか、両方なのかは当時もわからなかったが。
 ただ、今自分が室内に居ても入り込んでくる気持ちの良い風が、土用風だということはわかる。歳を重ねてわかったことのひとつだ。

 ここ数年、お盆を過ぎると時間の流れが早く感じる。夏嫌いな自分にとっては、嫌いな季節は早く終わって欲しいとは思うものの、少しの寂しさも感じる。
 それが、『夏の憂い』というものなのかもしれない。