淡白マスヲのたんぱく宣言 

40歳過ぎのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で毎日書くので気楽に読んでください。

二条城の観覧と帰路 【秋の二都旅行 その8】

 仁和寺の駐車場の管理は有人だったので、朝のコインパーキングのようなことはなく、すんなりと出車できた。
 料金も無人化されていないのに、良心的な500円。盆地で限られたスペースしかないために、駐車料金が高くなりがちなのはわかるが、前日から京都市内の駐車料金には驚かされることが多かった。

 友人は回り道をして金閣寺の前を通ってくれた。ナビ上では近くを通っていることはわかったが、通りからは金閣寺を見ることができなかった。
 前日から訪れた史跡や寺社などの中では一番賑やかだった。ただ、観光客はどことなくチャラかったが。
 自分もかつては、この中に二度混じったことがある。小学校の修学旅行と20歳のころに。
 今運転してくれている友人と知り合ったバイト先の別の友人たち数人と、アルバイト明けに徹夜で車を走らせて平安神宮金閣寺を訪れたことがあった。
 ハンドルを握っている彼と知り合う、ほんの少し前のことだ。

 2人を乗せたオープンカーが一本道を下っていく。通りが少しずつ広くなっていく。
 信号の停車で停まった時に、横を見るとパチンコ屋が見えた。前日から、初めてパチンコ屋を見た気がした。
 名古屋と違い、文化的な街の住人たちはパチンコを嗜む人も少ないせいかもしれない。

 いつの間にか複数車線の道を進んでいた。休日の午後ということもあり、街中の幹線道路は車が溢れていた。それなりに、排気ガスにもまみれていたかもしれないが、まったく気にならなかったのが不思議だ。
 二条城が見えてきたが、車を駐車する場所が見つからない。城の外周に沿って車を進めると、城の東側に駐車場を見つけた。
 友人は反対車線から回り込んで進入したら、入口の係員に少したしなめられた。
 友人の車は京都ナンバーだが、この街で生活を始めてから数ヶ月しか経っていないことを、見ず知らずの人に証明するものはない。

 駐車場から歩くと、東大手門が見えてきた。門だけを見ると、城だと思い知らされた。
 歴史から鑑みると、城と名はついているが徳川家が大名、公家や皇族たちとの社交場としての特色が強かったと、自分は考えているが。

 入城料金を支払って大手門に近付くと、人が溢れていた。まわりを見渡すと、見るからに外国人とわかる人が多かった。様々な言語が飛び交っていただろう。
 見た目も金閣時周辺で見た観光客と競るくらい、ミーハー感を漂わせていた。まわりから見たら、自分もその1人かもしれない。

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二条城の東大手
 台風被害のために、観覧できる場所が制限されていたので、迷うことなく二の丸御殿に向かった。
 靴を脱ぐと少しだけ浮き足だったし、靴を脱ぐ意味も感じた。
 人生初の二条城、人生初の鶯張りをいよいよ歩くことができることで。
 こんなに多くの人たちと一緒に歩いても、鶯張りの音がするのか少し不安ではあったが。

 結論から書くと、自分の不安は杞憂に終わった。二の丸御殿内を歩くといたるところで、鶯張りの音を味わえることが出来たし、自分が音を立てている実感も味わえたからだ。
 また、鶯張りついて自分は間違った知識を持っていたこともわかった。セキュリティ的なことを意図していると、間違った思い込みをしていたからだ。
 張りが音を立てるのは構造上の偶然で、城に居住や出入りしていた要人たちの安全を高めるために、造られたものではないことが御殿内に説明が掲示されていた。

 二の丸御殿の閲覧中は暑かった。連休中で観光客が多いことはあったかもしれないが、館内は風通しが悪かったことも原因だろう。
 その配慮のためにか、ところどころ扇風機が置かれてはいたが、あまり効果があったとは思えなかった。
 真夏でも同じような対応しかしていなかったのだろうか。もし、そうだとしたら、高齢者や持病を持っている人が観覧するのには、ハードルが高いかもしれない。

 二の丸御殿の展示方法にも気になることがあった。ひとつは、大広間などに展示してある人形だ。明治神宮聖徳記念絵画館所蔵『大政奉還図』のイメージを再現するために、使用しているとのことだったが、自分はあまり必要性を感じなかった。

 障壁画を見るのを楽しみにしていたのだが、展示してあるもののほとんどは模写のもの。オリジナルは『展示収蔵館』に保管されており、その一部を不定期に公開しているらしい。
 自分が訪れた日はその時期とずれていたので、オリジナルを見ることができなかったのは、残念だった。

 鶯張りのことについては、御殿内の説明文で知ることができたし、その説明については問題なかったと思う。
 だが、観覧中に度々掲示してあった説明文全体にたいしては気になった。
 ひとつひとつ掲示してある文章が、歴史的な視点からの解説だったり、建物自体についての説明だったりして、統一感を欠いていた。
 そのことについては、観覧中に友人と意見を交換したが同じようなことを感じていたようだった。

 少なくとも国内の世界遺産や国宝建築物の説明文には、もっと気を使って欲しいものだ。これらの大切なものを管理する省庁が文部科学省文化庁かは知らないが。
 友人も自分も歴史に興味があるために、それなりに歴史の知識を有しているからこそ、気になったと思えるからだ。

 いくつかのことを思ったり、考えさせられたりはしたが、二条城を訪れることができたことに満足していた。
 二の丸御殿を出て、時間を確認すると14時近くになっていた。
 友人にお礼と帰宅することを告げると、京都駅まで送ってくれることになった。

 友人が二条城の駐車場の出口の精算機を操作した。前日からの二日間で何度も似たような光景を見たが、それも見納めだ。
 精算する際に車を停めた場所が悪く、運転席から降りて精算機を操作しなければならなかったことが、二日間で何度かあった。
 一流大学の大学院まで卒業するほどの秀才が、そのような微笑ましい姿を見せてくれたことも、2人だけの旅の良い思い出になるだろう。

 京都駅までの道すがら車内で、名古屋までどのような方法で帰るのかを聞かれたので、新幹線を考えていることを答えた。
 すると友人は、JRの東海道線に乗ることも悪くないことを教えてくれた。京都駅から名古屋駅まで、乗り継ぎのタイミングさえよければ、2時間ほどしかかからないことを付け加えて。

 駅近くで友人は車を停めてくれた。友人のオープンカーの構造上、トランクは狭かった。自分の鞄がトランク内に引っかかってすんなりと取り出せなかった。
 力を入れて鞄の持ち手を引っ張ると、何とか引き抜くことが出来た。鞄の下になっていた、傘も手に取った。前日にもあまり出番がなかったビニル傘を。
 鞄と傘を両手に持ったまま、友人の車を見送った。先ほどまで自分が乗っていた青いオープンカーを。

 京都駅構内に入ると、新幹線の改札口を通り過ぎて在来線の改札口を目指した。友人の言葉が気になっていたからだ。
 米原方面の電車の時間を電光掲示板で確認すると、15時の快速電車があることがわかった。
 それまでに30分ほどの時間があったので、お手洗いと買い物をすることを思いついた。

 京都駅から続きになっている伊勢丹に入店した。女性衣料品のフロアならば、男性のお手洗いが空いているのではと考えたが、目論見は外れてしまった。駅構内だけでなく、伊勢丹のお手洗いまで混雑していた。
 お手洗いを出ると、お土産を買うために地下一階へ降りた。
 そのフロアで、あるお菓子を買った。抹茶とストロベリーの二種類が味わえるチョコレート菓子を。

 改札まで戻ってくると、ホームで電車を待つのにはよい頃合いになっていた。改札脇にある、ミニコンビニで缶ビールとサンドイッチをひとつ買った。
 ビールを買ったのはなんとなくアルコールを口にしたかったからだが、サンドイッチは何故か買ってしまった。空腹感をそれほど感じていなかったのに。

 ホームに降りると快速電車を待つ人は多かった。座れるかは微妙な雰囲気だった。
 座席に座ってからビールのブルトップを開けることを想定していたが、乗車してすぐには無理かもしれないと思った。
 ただ、帰路は長い道中。途中でいつかは座れることができるのでは、と楽観していた。
 そのころにはビールが温くなってしまうかもしれないが、それも旅のひとつの思い出になるだけだ。

 快速電車が走り込んできた。降車客が多かったせいか、なんとか座ることが出来た。向かい合った4人席のベンチシートの通路側ではあったが。
 なんとか冷えたままの缶ビールのプルトップを明けた。缶を少し通路側にずらしながら。
 進行方向から右側の車窓を見ると、若いころに何度かドライブした国道9号線が見えた。
 気がつくことができたのは、そのころとあまり風景が変わっていなかったからだ。

 街も風景も時間とともに変わっていくことは仕方がないが、その変化は必ずしも一定ではない。
 そのころと自分はどこが変わっただろう。どこが変わっていないだろう。
 350㎖だったせいか、あっという間にビールを飲みきった。飲んだあと、ぼんやりしていると、いつの間にかそのまま居眠りしていた。

 目が覚めると米原駅に着いていた。寝ている間に京都府から滋賀県へと県をまたいでいた。
 荷物を持って急いで大垣行きの普通電車が発車するホームへ向かった。
 大垣行きの電車も混雑していたが、若い旅行者が多かった気がする。大きなトランクを携えた、若い男性が特に自分の目を引いた。なんとなく学生の一人旅のように見えた。

 大垣までは居眠りすることはできなかった。ときどき目を閉じることはあっても。
 目を開けると、車窓を見た。ゆるい秋の傾いた日差しを浴びた風景が心を和ませたからだ。
 普通電車なので、各駅に停車した。駅で停車するごとに、少しずつ客が降りていく。
 手持ち無沙汰なので、まだ食べていないサンドイッチを口にした。まだ、お腹はそれほど空いていなかったが、意外と美味しく感じたのは何故だろう。

 関ヶ原駅に着くと、いよいよ日常生活が近付いていることを思いはじめた。
 前日は新幹線で高速で移動した。普段なかなか会えない友人に再会できたために、一気に非日常へ飛び込んでいたのに。そんなことを、なんとなく考えていた。
 関ヶ原駅までは時間がかかった気がするが、そこから大垣までは時間の過ぎるのが早く感じた。

 大垣駅で名古屋方面の快速に乗り換えた後、あることに気がついた。伊勢丹で買ったお土産がないことに。
 おそらく、米原駅の乗り換えの際に忘れたのだろう。きっと、寝ぼけていたのに急いで電車を降りたせいだ。
 少し前までのことを振り返っているうちに、岐阜駅に着いた。
 岐阜駅まではしょっちゅう訪れているので、完全に日常に戻ってきた実感が沸いた。ただ、いつもよりも違う疲れ方をしているだけだ。どちらかというと、心地よい疲労感を。

 このころから、次の日のことを考えていた。3連休最後の日は、副業先のラーメン屋で朝から働くことになっている。
 その翌日からは、本業の仕事がちょっとした山場にさしかかっていることも。

 名古屋駅で他の在来線に乗り換え、あるターミナル駅で降りると改札が通れなかった。原因はmanaca
 JR各社の営業エリアをまたぐ場合は、改札を自動で出られないようだ。何のためなのか理由はわからないが、疑問に思えた。
 前日からmanacaには阪急電車や京都の市バスなど、乗車した全ての交通機関で利用できた。おかげで、利便性しか感じなかったからだ。
 まさか、名古屋に帰ってきたタイミングで、不便な目に会うとは思ってもいなかった。

 出札の際に、駅員が上記の原因を説明してくれた。
 私鉄に乗り換えてからは、スムーズに自宅まで辿り着いた。
 帰宅すると、すぐに友人にLINEで連絡した。無事帰宅できたことを。

 この旅の2日間、友人は何度か珍しい話題を何度か口にしたことが自分は少し気になっている。それは彼が以前手がけていた、仕事のことだ。
 その仕事内容は技術開発職。大手自動車メーカーのハイブリッドカーや、今では軽自動車に標準機能として備わっている、アイドリングストップ機能に関わる技術に関わっていたのだ。

 友人が仕事のことを話題にするのは、希だからだ。彼は数ヶ月前に、新しい職場に転職したばかり。
 ある意味でターニングポイントに立たされているのだろうか。そのために、今までの社会人のキャリアを整理している最中なのかもしれない。
 自分が彼の話を聞くことで、気持ちが少しでも楽になっていれば幸いだが、どうだろう。
 彼に対して自分ができることは、話を聞くことくらいしか出来ないのが、少し寂しい。

 最後に2日間も付き添ってくれた友人と、それを許してくれたどころか、気持ち良くもてなしてくれた彼の家族にも感謝したい。
 今回の旅を書きはじめたときに、こんなに長くなるとは思っていなかった。
 ただ、書きはじめると書きたいこと、書き留めて置きたいことが次々と溢れてくることが多かったことに、自分でも驚いている。
 こんな旅がまた近いうちにできること、友人と友人家族のはじまったばかりの新しい暮らしが、上手くいくことを祈って今回の旅の記録を書き終えたい。(了)