淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

立ち止まること、立ち止まって考えること

 昨夜、同人誌の打ち上げでお酒を呑んでいるときに、スマホがあるプッシュ通知を受けた。その通知内容とはヘッドラインニュース。ニュースの内容はジャニーズ事務所の嵐、活動休止についてだった。
headlines.yahoo.co.jp
 SMAP解散のときもニュースとして大きく扱われたのにびっくりしたが、今回も同じような思いはある。だが、彼らは解散ではなく活動休止であることがわかると、そのことに最近自分が感じていることを重ね合わせたいと自然に思えた。
 よって、このニュースをイントロダクションとして、今日はblogを書き進めたい。

 自分は嵐について詳しくない。というか、デビューからしばらくは彼らの楽曲を全く知らなかったどころか、メンバーの区別すらろくにつかなかった。
 だが、10年ほど前に彼の楽曲を人前で歌うことになってしまった。友人の結婚披露宴でカラオケを求められたからだ。
 カラオケは好きだが音痴でもあることから、基本ヒトカラ派の自分。だが、その時は友人二人で歌うこともあって引きうけたが、なかなか選曲が決まらなかった。

 披露宴に参加したカップルの年の差が20歳近くあったことなどから、世代的に誰に合わせた選曲をした方がいいかなどを、一緒に歌う友人と考えていたら、なかなか歌う歌が決まらなかった。
 選曲の決め手は、新婦が嵐のファンであったこと。当時、嵐の楽曲の中でなんとか自分たちが歌えそうな曲から選ぶことにしたのだ。二人で選んだ曲は、『One Love』。
 ほとんど知らない曲を友人二人で、カラオケボックスに籠もって特訓したせいかもあり、本番では歌詞などは間違わずになんとか歌いきったことを覚えている。

 嵐のリーダーである大野智が活動休止のトリガーを引いたようだが、メンバー同士で話し合った結果、解散ではなく時期を決めないでグループでの活動を一旦取りやめるという結論へ至ったことに、自分は意味があると思っている。
 自分の中で上手くいかなくなってきたこと、心の中で引っかかることが出来たときは、一旦立ち止まることが重要だと、最近身に染みている。

 少し前までは、様々な物事について行動や思考しながら少しずつ修正できると考えていた。いろいろな意味で器用ではないくせに。立ち止まる時間について、心の奥底でもったいないと考えていたのかもしれない。
 そのことが違っているのではないかと、趣味であるスキーを通して、感じはじめた。
 フォームやバランスがおかしくても、以前ならそのまま滑走を続けていたが、最近ではすぐに滑ることを辞めて止まる。そして、再度滑り始めるようになった。
 止まれば、少なくとも休憩できる。また、止まることによって滑っている自分を少しは客観視できるメリットもあることに気がついた。物事は距離を取った方が、わかりやすいことも多い。

 嵐のメンバーが全員で再び活動をするかは、もちろんわからない。ただ、彼ら1人1人には意味があることだと思うし、スターである彼らが立ち止まることに価値があることを、ファンでもない自分にもあらためて、かつより深く考えさせてくれた。