淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

お金にキレイ

 ちょっとの良いことと、いくつかの悪いことが大行進してきた昨日。
 むかしの同僚から誘われたので、気分を変えるために誘いに乗って一緒に呑んだら、見事に喧嘩別れ。さらに、気分転換をするために、1人で呑み直す羽目になってしまった。ガールズバーを梯子したので、タクシーで帰宅したら今朝の3時を過ぎていた。
 こんなことならはじめから独りで呑んでいればよかったと、つくづく思う。ガールズバーでの時間は、久しぶりにかなり気分良く過ごせたので。

 ガールズバーでカウンター越しに女性スタッフやボーイと呑んでいると、昨夜は自分が質問攻めにあったが意外と楽しかったし、気持ちもほぐれた。
 自覚はないが、最近ガールズバーで呑んでいるときには自分語りをしないらしいので。

 数時間も呑んでいたので、様々なことが話題になったが一番盛り上がったキーワードは、『お金にキレイな人』。
 そのキーワードを口にしたら、数人から詳しく教えて欲しいと、熱く言われた。スマホを使って調べはじめたスタッフもいたが、結局は自分も上手く伝えることが出来なかった。お酒に酔っていない今でも、会話や文章で抽象的には上手く表現できない。
 反対に、『お金に汚い人』を説明するのは簡単だ。自分を含めた多くの人は『汚い人』に属するからだ。

 知人友人に恵まれているせいか、『お金にキレイな人』が自分の周りには3人もいる。2人は年上で、1人は小学校からの友人だ。
 年上の1人は自分の叔父で、1人は自分が20歳のころにアルバイト先で知り合った社員で、今でも友人だ。ちなみに、その友人とは今週末に一緒にゲレンデで雪遊びをすることになっている。

 お金と時間のルーズさは、相関関係があるように日常的にはよく言われている気がするが、自分はそうは思わない。
 自分が巡り会えた貴重な友人2人は、時間にはルーズだがお金にはしっかりとしているからだ。同級生の友人は特に、その乖離が甚だしい。

 父親が亡くなってしばらくの自分は、お金に振り回されていた。死期が迫っている父にしてやりたかったことが、妻の理解が得られずに出来なかったからだ。しかも、たった数十万円の話だったのにもかかわらず。
 その反動で、しばらくは金、金、金となっていた自分。
 あるときそんな自分がとっても滑稽に思えてきたのだ。当たり前だが、お金が無いと困る局面は世の中にたくさんある。
 だが、お金では手に入れられないもの、打開できない状況も多々あることに気がついたのだ。自分に、お金にキレイな友人が居てくれたからだろう。

 お金にキレイでいることは、天賦の才だと思う。お金に汚いことも持って産まれたものなので、変えるのは困難だと考えている。
 ただそれでも、少しは魅力的な友人に自分はあやかりたいと気をつけてはいるが、周りから自分はどのように見られているのだろう?