淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

時間が経てば許せることもある

 あいかわらず、胸の疼きが治まらない。ベッドから起き上がるのにも苦労する毎日が続いている。うつ伏せでも仰向けでも、左手を使って身体を起こそうとすると、激痛が走るのだ。
 寝ているだけでは症状は改善しないので、近所の整骨院で診察を受けた。今日、自分の施術を担当してくれたのは、整骨院の院長。施術中の会話で、レントゲン写真を撮ったかを尋ねられたので、昨日撮影したことと整形外科医の読影では骨に異常が見られない、と言われたことを答えた。

 整骨院の院長は施術を続けながら、怪我の様子をはかっているような感じだった。施術がある程度進む中で院長は、初日に施術を担当してくれた先生とほぼ同じような見立てを口にした。おそらく肋骨にヒビが入っている、と。
 はっきりした骨折ならともかく、肋骨の細かなヒビなどの場合は1、2枚のレントゲンでは写らないことが多いそうだ。死角が多い場所であることもあって。
 ある程度の痛みが治まるまでは2、3週間かかることも教えてくれたし、それまではスキーに行くことを控えることも言われてしまった。

 春休みに娘とスキーに行く約束をしていたので、どうしようかと考えている。

  1. ゲレンデには連れて行くが、自分は滑走しない。
  2. ゲレンデに連れて行き、緩斜面だけをひたすら一緒に滑る。
  3. 娘に自分の怪我のことを伝えて謝る。

 上記3案の中では最後の案が現実的だとは思うが、娘が一番残念がりそうなのが、正直辛いし寂しい。自分だけが雪遊びできないのであれば自業自得なのだが、娘を巻き込んでしまったことが。

 整骨院で治療を受けた後、乗鞍高原温泉で買ったお土産を持って行った。先日まで、10年以上もアルバイトしていたラーメン屋と妻の妹夫婦の家に。
 お土産とはバームクーヘン。乗鞍高原温泉のお土産として知る人ぞ知る存在となっているし、自分のまわりでもファンが何人かいる。
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 ラーメン屋へは3箱持っていった。いつも朝番を担当している男性社員から、頼まれていたからだ。彼自身もこのバームクーヘンにはまっているが、彼の身内の何人かもこの味の虜になっているらしい。
 ラーメン屋を後にすると、その足で義妹宅へ足を向けた。

 義妹宅があるのは地下鉄駅へも歩ける距離の閑静な住宅街。近くにのんびりとした狭くも広くもない公園がある。
 インターホンを押すと、マスクをした義妹が出てきてくれた。自分もマスクをしていたので、玄関先でマスクをした男女が向き合っていたことになる。

 バームクーヘンを渡す時に、自分は彼女にふたつのことを詫びた。ひとつは彼女の長女、姪と昨年末に会った時、スキーに連れて行く話をしていたが、その約束を果たせていないこと。
 もうひとつは以前、義妹の主人、義弟が自分の娘のために頭を下げてくれたことについてだ。

 ひとつは妻と離婚しないこと。もうひとつは、娘が通っているスイミングスクールへの送迎を自分がするようにお願いされたのだ。娘が小学校へ入学する前のころの話だ。
 最初の案については当時、離婚することは考えていなかったので、その旨を話した。
 もうひとつの案に対しては、その場では彼の申し出に首を縦に振れなかった自分。今思い返しても、自分の態度が恥ずかしい。
 義弟自身が両親の離婚を経験しているので、その経験から娘の心中を慮ってしてくれた好意なのに。

 だが、後日に自分は娘に対して義弟が考えてくれたことを尋ねた。スイミングスクールの送迎をして欲しいかを。数分、娘は熟考した後に、次のように言った。いいや、と。
 彼女が言い放った時の表情はどこか晴れやかだったことが、今でも忘れられない。

 自分が一通り、謝りたかったことを話すと今度は義妹も自分と同じようなことを口にした。自分に対して謝りたかったことがある、と。思いを巡らせたが、心当たりは全くなかった。
 彼女が謝りたかったことというのは、ある年の年賀状のことだった。自分の父が亡くなった翌年に、義妹夫婦から年賀状を受け取っていたのだ。喪中だったのにも関わらず。原因は彼女の勘違いだったらしい。

 思い返すと、そのことに対して自分はかなり憤っていた。今までの身内の死の中でも、圧倒的に父の時には喪失感を覚えたからだ。
 当時から妻とは別居状態だったこともあり、義妹夫婦たちが、わざとしたのではないかと思ったほどだ。自分が取り乱した状態だったこともあるだろう。

 だが、時間の経過がそのことをいい意味で忘れさせてくれていた。今日、彼女が謝ってくれるまでは、すっかり忘れていたほどに。
 当時は憤慨していたのに、時間の経過が冷静さを自分に与えてくれたのだろう。
 彼女が謝ってくれたことを素直に受け入れることができたばかりか、逆に自分が恐縮してしまった。丁寧に謝ってもらうのが、恥ずかしいほど。

 人と人との間にできてしまった許せないヒビも、時間の経過によって埋まることもあることを久しぶりに思い直した。
 もちろん、全ての許せないヒビや傷は癒えないかもしれないが。