淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

Type-C

 形あるものはいつか壊れる、と幼少のころから母親に言われ続けて育てられた自分。それでもいつの間にか、当たり前のように毎日よく使っているモノは、使えて当たり前と思い込んでしまう。
 よく使っているモノ、自分が頼っているモノが壊れた時にどのようなことになるかを今、思い知らされている。

 昨日、自宅の居間でパソコンに向かって文章を書いていたら、ふと気になることがあってスマホを見たら、ロゴが点滅したままになっていた。手で触ると、ケース越しでも低温火傷しそうなほどの熱を持っていた。
 バッテリーを外して再起動しても、別のバッテリーに入れ替えても同じ症状のまま、スマホが使える状態にはならなかった。突然前触れもなく、自分が何かと便利に使っていたツールが壊れたことに気がついた瞬間だった。

 なんとか修理ができないか、ネットで対応できそうな業者を調べて電話したが期待した返事は返ってこなかった。4年以上は使ったので、仕方がないとは思うが。
 グループ企業でパソコンも製造しているあるSIerのプロパー社員がよく口にしていた。ノートパソコンの寿命は5年だと。デスクトップパソコンと違ってノートパソコンはそもそも構造上に無理があることをよく説明してくれた。狭いスペースに高熱を発生するCPUと熱に弱いディスクを一緒にパッケージングすること自体に無理があると。

 もちろん時代とともに技術は新しくなっていくものの、根本的な問題はなかなか克服できないものが多いのではないだろうか。
 そういうアプローチで考えると、ノートパソコン以上にスマホの構造には無理があると、当初は自分も考えていたのだが。ノートパソコン以上に限られたスペースで演算装置や記録メディアだけでなく、カメラまでついているからだ。

 初めて使っていたスマホの機種はサムスンの『GALAXY S5』。アップル嫌いのために、iPhoneを買うつもりはなかったので、Androidの機種から選ぶしかなかった。高額だったこともあって、今までの携帯電話とは違って丁寧な取り扱いをしてきた。
 初めてカバー付きのケースに入れて使っていたし、後ろのズボンポケットに入れっぱなしにして、座るときにそのまま椅子にプレスしたこともなかった。財布の次に大事にしていたと思う。
 おかげで、よく見かける液晶割れなどもなかったし、たいした不具合もなく5年近く使えることができた。モノは丁寧に扱えばそれなりに長く使えることを知ることもできた。

 修理もできないので、Androidの新しい機種に買い換えたが、お金はともかく手間もかかって仕方がない。
 新しい機種を買った瞬間に、液晶の保護シールとスマホのケースを買わなければならないことは想定していたが、思わぬものまで買い換えることになった。
 想定外の買い物になったのは、スマホの充電器。今までのものとは形式が違う『Type-C』と呼ばれているものでなければ、使えなかったのだ。

 スマホの買い換えは実質無料の機種を選択できたのだが、想定内外の買い物でいきなり5,000円近くの出費は、無職の自分にとっては少々痛かった。
 スマホを自分の使い勝手が良いようにするのには、まだ1日くらいかかりそうだ、トホホ。