淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

伝染るんです。

 身のまわりに居る人間の良いところよりも、悪いところの方が似てくるのではないだろうか。最近、よくそう考えるようになったし、昨日は自分がそうなってしまっていることに気づいて、ぎょっとした。

 自分の友人には、ゆうちょ銀行員が2人いるのだが、そのうちの1人に昨夜、聞きたいことがあって電話したときのことだ。
 払込取扱票で指定されているゆうちょ銀行の口座へ、自分が持っている他の銀行の口座から、ネットバンクサービスを使用して払込をしようとしたが、その手順がわからなかったので、教えてもらいたくて電話したが出なかったのだ。23時を少し過ぎていたので、仕方がないとは今は思っているが。

 だが、その友人は平然、毎日のように遅くまで残業していることを口にしていたので、職場に居るかはわからないが、当然のように起きていると考えていたが、違ったようだ。今朝になって、寝ていたとLINEのメッセージが届いたから。

 その友人は、自分を驚かせるような迷言を今までにいくつか口にしてきた。そのうちのひとつは、『俺には俺のやり方がある』。
 このセリフは仲間内では有名になりすぎて、呑んでいるときなどの会話の落ちによく使われるようになっている。

 最近、彼のセリフの中で気になっているのは、『使えない』。
 職場で部下や上司が自分の思い通りにならないと、友人は昔からよくそのように口にしたが、聞き始めたころの自分には違和感しかなかった。自分は何様のつもりなのかとツッコミたかったし、誰からみても自分の仕事ぶりや生き方は完璧なのかと、も思ったものだった。

 だが、よくない言葉ほど感染するもの。友人の妻も、自分と距離感が近いので、よく愚痴などをお互いに聞き会うのだが、彼女が旦那と同じ言葉を口にしたのを、数ヶ月前に初めて聞いた。
 彼女が働いている職場の部下と上司に対して同じように、『使えない』と。彼女は感染者なので、犠牲者とも言えるかもしれないが、旦那との結婚を選んだのは彼女自身。彼女が感染させられた責任が彼女にも少しはあるはずだ。

 昨夜、友人が電話に出てくれなかったので、諦めて電話を切ったときに、思わず自分の口から出ていた。『使えない』と。
 その言葉を自分で聞いて、自分自身が少し情けなくなった。気をつけていたはずだったのに、脇が甘かったとしか、言いようがない。

 最近、小中学校からの友人との人間関係、距離感についてよく考えるし、考えさせられる。自分がこんなに考えているということは当然、友人たちもそれぞれ自分との付き合い方や距離感について、考えていても不思議ではないだろう。
 お互いに、それぞれがターニングポイントに差し掛かっているのかもしれない。

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昨日、親戚宅へ訪れた時に庭で咲いていた紫陽花。