淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

47歳のバースデープレゼント

 誕生日から数日経って、自分が47歳になったことに少しずつ馴染んできた気がする。
 今年はバースデーケーキをプレゼントされることもなかったので食べていないが、そんなことは些細なこと。今年の誕生日には、形やモノではない素敵なプレゼントを幾人かから受け取った。

 ひとつは自分がたまに遊びに行っているガールズバーでかつて働いていた女性スタッフ2人から、LINEでHappy Birthdayのメッセージをもらったこと。
 彼女たちは店を卒業していて、新しい道を歩み初めているのにも関わらず、自分に対して言葉を贈ってくれたのは本当に嬉しかった。損得勘定だけで自分と接していなかったのだと思えたからだ。
 彼女たちの人生の1ページに悪い意味ではない記憶として、自分が残っていないという証拠だと、勝手に気分良く自惚れている。
 ひょっとしたら、これからの彼女たちの新しいページにまた自分が登場したりするかもなんて、と考えたりもしてしまった。

 もうひとつは昨夜のことだ。小学校からの友人と2人、名古屋で一番の繫華街、錦に呑みに行った。久し振りのネオンが眩しかった。
 彼の仕事は税理士。お客であるラウンジに行かないかと誘ってくれたのだ。
 友人は自分と違って、普段はほとんどお酒を嗜まないし、夜の街を遊び歩くタイプでもないせいで、ラウンジが夕方の早い時間から開いていると思っていたほどだ。

 待ち合わせは18時だったがラウンジはまだその時間、店を開けていなかったので海鮮居酒屋で時間を潰し、ラウンジの開店時間になると、河岸を目的の店に移した。その店は錦3丁目、通称錦三の入口の雑居ビルの地下にあった。駅からも表通りからも近いので、テナント料金もそれなりのはずだ。
 入店するなり、ママから友人は先生と呼ばれた。彼は世間から、先生と呼ばれる立場なのを実感した。
 もちろん、自分から今は無職だと口にする訳ではないので、お店ではきちんと差も無く丁寧に接客されたが。

 ラウンジで2時間くらいは過ごしただろうか。自分も結構酔っていたし、友人がその後に予定もあることもあって、解散することになった。
 一軒目の居酒屋も二軒目のラウンジも、自分の誕生日プレゼントとして気分よく奢ってくれたのが、さりげなく嬉しかった。

 友人はその後、1年ぶりに父親に会うことを口にした。その話を聞いたときは一瞬、切なくなった。自分の父は亡くなっているので、この先もう会うことはできないからだ。
 普通に過ごしているとこの世の中は、生者だけで成り立っていると思いがちだが、決してそんなことはないはずだ。
 帰りの電車やその後も、そんなことを考える機会を作ってくれたことが、彼から一番のバースデープレゼントだった気がする。

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週末の錦の夜景。名古屋の繫華街には観覧車があります。乗ったことはないけれど。