一昨日の月曜日の午後、雨が上がるとうずうずしてきた。写真を撮りたくなっていたからだ。雨上がりの屋外でシャッターを切ると、空気が澄んでいることが多いのでよりよい写真になりやすい。
自宅で昼食を食べると、自分の意思に正直に従って車を走らせた。岐阜県関市の板取にある根道神社の池、通称モネの池に向かって。
今まで一度も足を運んだことがなかったので、一度は行ってみたかったし、どうせ行くのなら睡蓮の花が咲く今の時期が一番だと考えたからだ。
板取及び板取川という言葉は知人友人からは、今までよく聞いてはいたが、自分がその地区に足を踏み入れたことはなかった。
岐阜県は自分が住む愛知県の隣だし、距離も車を走らせれば高速を使わなくても2時間もかからないのにも関わらず。
今日の記事を書くに当たって、板取のことを調べるとあることを知った。現在は関市だが、以前は武儀郡板取村であったことを。
武儀郡という言葉からは、自分の経験からどうしても他の地区のことを連想してしまうが、郡と呼称されていたのだから、いくつもの町村が属して広かったのだろう。
ちなみに武儀郡に所属していたのは洞戸村、板取村、武芸川町、武儀町、上之保村の4町村だったらしい。
県境を越えて岐阜県に入り、長良川を越えて板取川を併走するころになると、晴れていた空は雲が多くなってきた。
アスファルト舗装された道はところどころに水たまりを残していたが、ほとんど乾ききっていた。
ただ、しばらく車を走らせると車のフロントガラスに小さな雨粒が時折、着いたがワイパーを使うほどでもなかった。
それ以上、はっきりとした雨が降ることはなく、かといって厚い雲の向こうから強い初夏の陽射しが差すわけでもなかった。
道路脇に少しずつ紫陽花が目立つようになったころ、目的地に着いた。
国道256号線沿いの駐車場に車を停めると、平日なのにそれなりに人影が目立ったし、自家用車だけでなく観光バスも一台停まっていた。
まずはモネの池の横にある根道神社にお参りをしてから、その裏手にある紫陽花園を目指して歩いた。歩いて10分ほどの距離だったと思うが、途中で何人かの観光客とすれ違っただけだ。
後ほど訪れたモネの池の人だかりとは対照的に、静けさが漂っている中で紫陽花は咲いていた。 紫陽花園からモネの池への道すがら、珍しいトンボを見たのでシャッターチャンスを伺ったが、近づくと遠ざかるように逃げてようとしたが、シャッターチャンスを逃さすになんとか撮影できた。 モネの池に戻ってくると、目の前に停まっていた観光バスが入れ替わっていた気がした。池のまわりの観光客はほとんどが女性で、しかも平均年齢はかなり高め。
ほぼ全員がスマホを使って写真を撮っていた。自分が見ていると、ほぼ同じような場所から同じようなアングルで撮影しているのも気になった。
また、彼女たちのファッションに統一性が感じられたのも不思議だったが、自分の気のせいかもしれない。 自分としては正直、モネの池は期待外れだった。噂になるくらいだから、もっと素敵なスポットだと思っていたのだが。
先日、訪れた久屋大通庭園フラリエにある池の方が、モネの世界観に近いような気がした。だからかもしれないが、池のまわりでモネを気取ってポートレート撮影をしていた人は居なかった。
それでも、ファインダー越しに見ると何かしら魅力が発見できるかもしれないと思って、カメラを取り出してシャッターを切ったが、そこにしかない魅力を発見することはなかった。
帰る前に、駐車場脇に板取川に架かっていた橋から、何回かシャッターを切ったが、そちらの景観の方が自分は興味深かった。 国道258号線を戻っていると、ある所に立ち寄りたくなってきた。寄り道したくなった場所とは同じ関市内、かつては同じ武儀郡に属していた上之保地区。
上之保地区にある日帰り温泉入浴施設、『上之保温泉微笑みの湯』で汗を流して帰宅することにした。
hohoeminoyu.jp
津保川沿いの道を久し振りに走った。道の駅平成の前を走り抜けたことも、久し振りだった。
平成が終わって令和になるころ、この道の駅はよくTVに映っていたが、昨年の同じころ付近が洪水で大きな被害を受けていたことも併せて紹介していた番組はなかった気がする。
自分がそう考えてしまうのは、この地区の災害復旧ボランティアに一週間参加したからだろう。
久し振りに訪れた上之保地区を車窓から眺めると、昨年の災害被害を連想することは難しかった。微笑みの湯の横にあったグランドはかつて、様々な災害ゴミの集積場所だったのだが、夕焼けを浴びたグランドにその面影はなかった。 ボランティア活動に参加した後は無料で入湯出来た微笑みの湯に、500円を支払って久し振りに入湯した。
お湯も露天風呂からの景観も相変わらず素晴らしかった。露天風呂の湯船に浸かっていると、いつの間にか考えていた。
起きない方がいいに決まっているが、今もし同じような災害が起きて、災害ボランティアの募集があったら自分は参加するのかを。正直、わからなかった。
昨年の夏に自分は何故、ボランティアに参加したのだろう? 何が自分を駆り立てたのだろう? 自分と一緒に汗を流した人たちは今、何を思って何をしているのだろう?
また、直後にマスコミで取り上げられたスーパーボランティアこと、尾畠春夫さんの近況のことにも思いを巡らせていた。