淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

忖度ではなく、慮って欲しい

 会社を辞めてから独りで居ることが多いし、その時間が徐々に増えている。
 昔は寂しがり屋だった自分からしたら、信じられない変化だ。
 祖父祖母と同居、しかも長男として扱われた環境で子供のころは育ったので、どちらかというと社交的なタイプだと思う。
 母は今でも当時のことをたまに愚痴るので自分が得たこの特性はある意味、母の犠牲の上に成り立っているとも言えるのかもしれない。

 社交的だからといって、人見知りをしないわけではない。多弁な方なのでよく誤解を受けるが、人のことを気にしているからこそ、積極的に相手へ話しかけるのだ。
 あまり意味の無いようなことでも口にし、相手がどのようなリアクションを取るかを知りたいからだ。そのリアクションから相手が何を感じて、何を考えているのかを観察したいのだ。

 なんとか社交的になれたので、望めばそれなりにかまってくれる友人知人はそれなりにいるが、どちらかというと今は人との距離を詰めたくない。
 人と人とのコミュニケーションで自分が何かを口にすること、相手が発した言葉を受け取るときに、時々虚しくなることが増えてきたからだ。そんなことまで、お互いに口にしないといけないのかと、ふと考えてしまうのだ。
 特に、付き合いが長かったり、深かったりする相手ほど。

 それは会社員として仕事を続けていたこと、社会の構成員として何かを我慢していたことと関係しているような気がする。
 自分の心の中に見えないし、説明することもできない何かが澱のように積もったからだと思う。
 もちろん、たまには人に会いたくなることもあるが、そんな時は簡単だ。いくらでも方法はあるからだ。

 母は健在なので、実家に行けば毎日でも母どころか弟とも会話ができる。
 父が亡くなってからは毎日曜日の夕方は一緒に食事をしているが、そろそろその回数を減らしたい。
 ただ、母が70代になったことを考えると今のままの頻度のままがいいような気もする。

 平日の昼間に誰かに話したくなったら、自宅から自転車で行けるほどの距離にある、ラーメン屋へ訪れることもある。
 3月まで自分が働いていたが円満に辞めたので、ほとんどの従業員は軽口を交えながらもほどよい距離感で接してくれるからだ。

 異性、特に若い女性と話したくなったら、キャバクラやガールズバーに遊びに行けばいい。
 昔は疑似恋愛を求めて通ったこともあったが、そんなことさえ最近は懐かしく感じる。
 だが、写真撮影にはまりだしてから、それらの店に行く回数が一気に減った。特に女性のポートレートを撮影するようになってからは。

 新しいカメラやレンズが欲しいのでお金を大事にしたくなったこともあるが、他の理由もある。
 滅多にあることではないが、ポートレートを撮影している時にファインダーを向けた相手と何かが通じ合った気がする瞬間を味わったからだ。もちろん、自分だけが勝手に誤解している可能性も否定できないが。

 自分の思い違いだとしても、その瞬間を自分自身で切り取った写真という形で残すことができるし、その写真を見ればその瞬間を思い出すこともできるから。

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モデルの砂月蛍さん。さくらフォト撮影会にて撮影。写真を見ると、いつでも撮影した日のことを思い返すことができる。