一昨日の月曜日に行われた撮影会中、モデルとカメラマンとのやり取りで面白い一コマがあった。
あるカメラマンがモデルさんの年令を聞き出そうとした。すると彼女はベタだが上手にかわした。永遠の20歳です、と。
その返答にカメラマンたちは微笑んで、それぞれが変わることがない年令を口にしだしたので、自分もそれに続こうとした。
彼女が20歳だとすると、それを少しリードする年令を考えると、25歳くらいがしっくりする気が最初はした。
だが、すぐにその設定を自ら否定した。25歳だったころの自分に戻るなんて真っ平御免だった。自分の人生の中でも暗黒時代のひとつだったからだ。
ろくに異性に相手にされないことを自分の外見のせいにしたり、仕事や世の中の不満に対してはまわりのせいにしていた自分。面白くない毎日を過ごしているように感じていたことも。
晩酌こそしなかったが、休みの前は友人たちと深酒をし、深夜まで繫華街をさまよっていた。
若かったからそんなものなのかもしれないが、そんな自分によくぞまあ、付き合ってくれた友人がいてくれたものだと思う。そのころの彼らは、どうしてそんなにも寛大だったのだろう? 当時、付き合っている彼女がいた友人もいたのに。
そのころは生花の市場業界に勤めていた。平日は早くに時間が空いてしまうために、パチンコ・パチスロに行くのは当たり前。時には地方競馬の投票にも出かけたほどだ。地方競馬を自分に手ほどきした人間から、地方の競馬新聞は買う物ではなく、ゴミ箱から拾う物であることも教えられて、実際その通りにしていた。
今、振り返ると本当にみっともない。
そのころの自分に今、手紙を書いてやりたいくらいだ。自分で卑下するほど、女性に悪く思われていないこと。
無駄なプライドは要らないが、自尊心だけはきちんと持つこと。
少しでも興味を感じることがあったら、怖気付かずに何にでも挑戦すること。
一応、結婚をして娘の父親になることなどなど。
だが、やっぱり手紙など必要ないのかもしれない。そのころの自分は未来からの自分からの手紙など、受け取っていないし、それでも今の自分があるからだ。
話を最初のテーマに戻そう。
撮影会の時にモデルさんや他のカメラマンの前で最後に自分は次のように言った。どのころにも戻りたくない、今の自分が一番好きだから、と。
その言葉を口にするとまわりは一瞬、静かになった。自分と初対面の人ばかりだったが、どう思われたのだろうか。
ただ、その言葉に偽りはないし、そう思えるように行動しているという自負が、最近の自分にはあるからだ。