日ごろから、政治家に対してはオフコメントでも、このblogのような場面でも厳しいことを多く書いている自覚はある。
だが、今日はある政治家を褒め称えることから、この文章を書き進めたい。その政治家とは現愛知県知事大村秀章。
かつて、このblogで辛辣なことを書いたが、その時には彼のことを好意的に思う日がくるとは思ってもいなかった。
hatehatehahaha.hatenablog.com
人は絶えず変わっていくことを強く意識するようになった最近の自分だが、それ以前に人には多面的な面があり、他人から見れば当人のある一面のみを見て判断されてしまうということに気がついた。
また、より多面的な人ほど、まわりを引きつけるのではないかということにも。
今回、我らの知事を見直すことになったのは、『あいちトリエンナーレ2019』についての対応だ。
あいちトリエンナーレとは、愛知県で3年に1度開催される国内最大級の現代アートの祭典。
詳細は以下にリンクを張っておくので、興味を持った読者がいたらサイトだけでも見てもらいたいのだが、昨日からこのblogを書いている今でも、サーバーへの負荷が高いからなのか、繋がり難い状況が続いている。
aichitriennale.jp
自分が会場に行ってみようと思ったきっかは、SNSだ。
一部の展示内容だけをtwitterなどのSNSに取り上げて、批判されているのを目にしたからだ。実際に自分の目で見て、それらが批判されるべきものなのかを知りたいと思ったからだ。
一方、Twitterなどで批判が続いていることについて、我らの知事は静観を続けている。
少なくとも昨日までは電話などでの抗議は続いているようなので、現場にはそれなりに負荷はかかっているはずだが、そのことについてのフォローは彼にお願いしたいものだが。
何かにつけて人気取りのためのパフォーマンスをしている、品のない名古屋弁を使い続けているどこかの市長とは、偉い違いだ。
www.sankei.com
今までの自分だったらアートという言葉だけで、足が遠のいてしまっていただろう。しかも、それが前衛的なものであるなら尚更だ。
1人でこんなイベントに参加することなんてなかったはずだ。よっぽどの魅力的な女性にでも誘われないかぎり。
だが、そんな自分を会場へ向かわせたこと。問題とされている展示内容について自分の目で見て考えた結果、自分なりの評価を持てたことは、結果としてそれらを忌み嫌っている人たちのtweetだったことは、tweetした本人たちからすれば皮肉としか言いようがないだろう。
自分以外にも同じような人がいてもおかしくないはずだ。否定も肯定も無視することよりは、その対象物に対してスコープを当てることになってしまう、良い例だろう。
少しでも興味のある人には実際に見て欲しい。といっても、自分もまだ全ての会場をまわっていないのだが。
昨日、チケットを購入するときに一日券を買うか、開催中にいくつもの会場へ入場できるフリーパス券を買うかを迷ったが、フリーパス券を購入したので、次は別の会場である名古屋市美術館に足を運んでみようと考えている。 自分の好きなアーティストが以前、エッセイで次のようなことを書いていたことが忘れられない。
表現活動を始めたころは、政治的な問題と距離を置くことにしていたが、表現を突き詰めるに従って作品のテーマに政治的な要素が盛り込まれてしまうことは致し方ないと思うようになったと。
彼の作品を20年来見続けているので、その言葉のニュアンスをなんとなくは実感できる。
www.chunichi.co.jp
大人な対応を続けている我らが知事、自転車に乗るのが大好きなどこかの市長の他に、このイベントの監督である津田大介の思いを上記に紹介した。その中の一部を以下に抜粋した。
“トリエンナーレのテーマは「情の時代」。津田監督は今の状況を「情報で感情があおられている」。作品を見ずに感情がひとり歩きする現況を嘆く。” 会場での鑑賞中、あることに気がついたので受付で尋ねてみた。そのあることとは、会場内で展示されているものを見守っている人たちの多くが、ボランティアではないかという仮説だ。
自分の仮説は当たっていた。何故、そのような仮説を立てることができたのかを振り返ると、ここ3年ほど自身もなにかしらボランティア的なことをさせてもらっているからだ。
初めてトリエンナーレに足を運んでみて、何事も経験だとつくづく感じた。自宅や自室に籠って気に入らないことを探し出してあげつらっているよりは、外に出た方がよっぽどマシだと、も。
会場で自分が見かけた鑑賞者は年齢的には幅があったが、概ね共通していることがあった。彼らに共通していることとは、外見的にイケていること。その点は来場者の中で、自分が一番浮いていた点だろう。
思わず写真を撮りたくなってしまうほどの魅力的な女性ばかりだった。それなりの歳を重ねた女性であっても。
逆に女性から見た鑑賞者の男性は、魅力的に感じる人が多いのかもしれない。