四月から続いていた無職状態が終わる日が決まった。昨日、9月1日からある会社で働くことが、正式に内定したからだ。
以下が次に働く会社との取り交わした雇用条件だ。変なプライドもないので、金額も隠さずにそのまま載せることにした。 この結果に100%納得しているわけではない。その理由については後日、書き綴りたいと思っている。
だが、ひとまずはホッとしている。同じ世代のサラリーマンから見れば寡少かもしれないが、確実にお金が入ってくることが計算できるようになったからだ。
昨日の遅い午後の時間に、入社予定の会社で入社のための手続きを済ますと、ある場所へ真っ直ぐに向かった。向かった先は名古屋市繫華街にある献血センターだ。
仕事から長い間距離が取れたことでストレスが減ったせいか、心身ともに調子が少しずつよくなり、先月からはついに服薬が、睡眠導入剤の一種類になった。しかも、この薬は当日服薬していなければ、献血することが許されている薬だ。
ここ数年は、献血しようとすると大変だった。心身ともに調子が良い時を見計らって3日以上服薬を中断してからでないと、献血できなかったからだ。
服薬していた薬の中に、献血するのに差し障りのあるものがいくつかあったからだ。
献血自体も昨年の2月以来なので久しぶりだったが、自分にそれほど負担をかけなく献血できたのは、思い出せないくらい久しぶりだ。
そのせいか、献血センターに向かう自分の足も軽やかだった。
暑かったこともあるが献血センターに着くなり、無料で提供されているソフトドリンクをガブ飲みした。大きな態度で飲んでいたかもしれないが、それくらいは大目に見てやってほしい。
昨日の献血は自分にとって、特別な1回になるはずだから。
真夏には献血者が減ると言うことを聞いていたが、昨日はそれなりに献血者がセンター内で見られた。男女比率は半々くらいだったが、明らかに自分が平均年令を上げていただろう。
採血をしてくれた看護師は素敵な人だった。だが、数ヶ月前の自分だったらおそらく、彼女をそんな風に思わなかっただろう。若い女性に目を奪われてばかりだったからだ。
女性のポートレートを撮るようになってからは、好きな女性のタイプが変わってきたが、一番は年令だ。
失礼な話だが、30代はともかくとして自分と年令が近い40代に魅力を感じることは少なかったが、今では逆にただ若いだけの女性に魅力を感じることが減ってしまった。
女性であれば若い時にはそれなりの外見的な魅力が担保されていることに気がついた。
人間の魅力は内面だなんて、格好をつけたことは言えないが、ただ以前よりはそれなりに若くて可愛いだけにしか見えない女性になびかなくなっているし、それに比例してキャバクラやガールズバーなどへも足が遠のいているのだろう。
今夜も昔の同僚に呑みに誘われたが、二つ返事で断った。彼とグラスを交わせば2件目以降に、それらの店に行くのが慣習になっているからだ。
だが、そんな彼と同僚だったころに揶揄されたことを未だに憶えている。自分が若い女性が好きなことを。逆に彼は着物が似合う色香の漂う熟女が好きだと酔ってはよく口にしていた。
そんな彼が最近、どんな呑み方をしているのかは全く知らない。最低でも半年以上は会っていないからだ。会社を辞めたことは連絡したが、それから自分がカメラを片手に写真を撮りまくっていることは知らないだろう。
話を献血に戻そう。献血中、担当してくれた看護師が気になって仕方がなかった。端から見たら全く落ち着きを失っていたと思う。
彼女は40歳前後に見えたが、それ以上のことはわからなかった。少しでも彼女のことが知りたくなった。
自分の数少ないスキル、軽くて薄い話題を振って会話を続けようとしても、なんだか上手くいかなかった。ただただ、自分の問いかけが上滑りしている感覚だけが残った。
そんなやりとりを彼女としているうちに、400㎖の採決は終わった。ある意味緊張したけれど、その緊張は献血のためではなかった。
献血後に彼女が血圧を測ってくれた。献血前は110前後だったのに、一気に140を超していた。
その結果を聞いて、彼女に尋ねた。献血をすると血圧は上がりやすいのか、と。血圧が上がった理由は自分が一番わかっていたくせに。
彼女の答えた言葉は忘れてしまったが、素で答えられたことだけは、今でも印象に残っている。
その後、帰宅するまでに寄り道して買い物などをしながら帰宅した。昨夜は20時から、町内の夜回り当番だったから。
本当は真っ直ぐに帰りたくなかったが、仕方が無かった。
駅へ向かって歩いていると、目の前の景色が気になったので、鞄からカメラを取り出して数回シャッターを切った。
撮影した愛機のセンサーは小さいものの使い慣れているせいか、最近は撮った写真に自分の心情が現れてしまうことが多い。以下の写真には、昨日の自分の感情が出ていると、自分でもすぐに気がついた。 自分の娘を含めて学生の夏休みはまだまだこれからだが、自分の夏休みの終わりがはっきりと見えた昨日。
少し長かった夏休みに得たものは、あまりにも大きくて得がたくて貴いものだったと、はっきりと他人に言える。それが、他人からしてみれば対して価値が無いものかもしれないが。
自分が長い夏休みを経験して感じたことは、時には肩に背負っているものを降ろして立ち止まることが重要だということ。きっと、自分やまわりの景色が違って見えるはずだ。
そう見えないのであれば、まだ何かを背負っているか立ち止まっていないかの何れかだと、自分は思う。