淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

6年前の夏

 久しぶりに【今週のお題】に寄せてblogを書こうと思う。【今週のお題】のテーマは『人生最大の危機』。
 最初、危機という視点で今までの47年間を振り返ってみたら、ひとつを選ぶことができなかった。考えたら、自分の人生で上手くいったことなんて、ほとんどなかった気がするから。
 酒の席だったと思うが、昔からのある友人に自分の人生を次のように言われたことがあるほどだ。人生谷有り谷有り、と。
 的を得ている表現だと、言われた本人は今になっても思う。

 それでも考え続けてみた。谷の中の谷、人生で一番深い谷底は何処だったのかを。
 校風に合うことができなかったこともあり、停学処分まで味わった高校に通った3年間。
 目的を果たすことなく、本当に無意味となってしまった予備校生時代。
 二十歳の初夏を皮切りに何度も味わった数々の失恋。
 ヤマト運輸での宅配便のドライバーをしていたころ、会社から奴隷のように扱われている気がして、自尊心がおかしくなっていたころ。
 考え出したら、枚挙に暇がなくなってきた。

 嫌なことでも時間が自分の気持ちを整理させてくれたのかもしれないが、今までで自分が一番崩れそうになったのは、結構最近のことだという結論に辿り着いた。
 それは6年前の夏に起きたことだ。自分が出張中に妻が娘を連れて実家に帰ってからの数ヶ月だ。

 当時、父は膵臓癌の末期。二度目の手術を受けた後。
 自分はもう父の残された日々は少ないだろうと感じていたし、母と弟もそれなりに覚悟をしていたと思う。父本人は、どう思っていたかはわからないが。

 そんな時に、入社して数ヶ月しか経っていない会社から長期の出張が言い渡された。
 その内容は、最初の作業場所は大阪でその後は東京の府中になること。週末こそ名古屋に帰っていいことになっていたが、期間は数ヶ月に及ぶこと。
 上司はその指示を自分が断った場合、試用期間中だったことをよいことに、自分へのプレッシャーをかけてきた。
 今の自分だったらその指示に従ったかは微妙だが、当時の自分にそれだけの余裕はなかった。

 従事した現場はシステムエンジニアとして自分が参加したプロジェクトの中ではワースト2。
 元請けのベンダーが見積もり規模をあきらかに寡少にしていたし、そればかりか会社内で政治的な足の引っ張り合いをしているのが、自分の目からも見てとれた。

 その影響は下請けである自分にも、悪い結果ではっきりと現れた。毎日のように残業でピーク時には250時間労働が数ヶ月にも及んだ。
 帰宅してただ寝るだけで良いホテル暮らしは、ある意味ラッキーだったかもしれないが、疲れて部屋に帰っても話し相手は誰もいなかった。
 今、思うとこの経験が一人暮らしをする上で自分が寂しさを感じなくなった経験になっている気がする。

 長い一週間を過ごして、大阪から名古屋に帰ってきても家には誰も居ない。当然、娘の顔を見ることも叶わなかった。
 そんな浮かない気持ちを抱きながらも、週末は父が入院している病院へ足蹴良く通った。主治医から後悔の無いようにして下さい、と既に言われていたこともあって。
 それでも、やはり辛かった。父親っ子だった自分にとって、父は特別な存在だったからだ。

 仕事も嫌なことばかりで上手くいかない。妻は子供を連れて実家に帰っている。そして、好きな父が死ぬことがもうはっきりとしていたのだ。
 誰も当時の自分の気持ちを正確には慮ってくれないだろう。今の自分でも無理だ。

 ただ、それでも何人かは自分のよりどころとなってくれた。
 以外だったのは、妻の妹夫婦。自分の側に立ってくれて、妻を窘めてくれただけでなく、妻を実家に置いていた両親にも、強い言葉を何度も投げかけてくれたらしい。

 そんな日々の中で一番のよりどころになってくれたのは、子供のころからの友人の中でも数人と、ある女性の存在だった。
 名古屋に帰ってくるとほぼ毎土曜日、呑みに出かけた。居酒屋を皮切りに河岸を変えながら。

 いつのころからか居酒屋で呑んだ後に、あるガールズバーでも呑むことが多くなった。最初のころ、その店によく足を運んだ理由は値段だったと思う。
 キャバクラほどは高くなく、かといって居心地は悪くなかった。キャバクラなどに誘うと嫌がることが多いある友人も、その店だけはわりと誘いに応じくれた。
 その理由を彼はよく口にした。キャバクラなどは照明が暗い店がほとんどだが、その店は明るいからと。どこで呑んでも、そんなことが気にならない自分にはない感性だ。

 やがて、その店に自分が気になる女性ができた。そんなことを文章にすると彼女に失礼なのかもしれないが、第一印象で男の目を奪うようなタイプではない気がする。
 それでも何故か自分は彼女の第一印象をはっきりと憶えているし、これからもなかなか忘れることはできないだろう。

 そのころは、一人でその店に行くこともなかった。あくまで友人と一緒に通い、彼女を指名することもなかった。
 そのせいか、一緒に付き合ってくれていた友人たちは、自分が他の女性が気になっていたと考えていたほどだ。

 毎週土曜日の夜、ただ友人たちと居酒屋で時には馬鹿な話をし、時には無意味に熱を帯びた話をしてグラスを傾けたこと。
 その後に、自分が気になっている女性が居たガールズバーで取るに足らない話をして過ごすことで自分は救われたし、そのように自分で感じることができたことが、肝心だったのだと、時間が過ぎた今となっては思う。

 よく言われることかもしれないが、ピンチの時に離れていってしまう人ではなくて、ピンチの時に寄り添ってくれる人が自分にとって貴重な人だと実感できた。
 そのころ一緒に居酒屋に行き、一緒にそのガールズバーまで付き合ってくれた友人にはある意味感謝しかないが、きっと本人を前にして直接言葉にすることは今後もないだろう。

 台風が近づいている深夜に筆を置こうとしているが、最後にひとつだけ。
 その経験が再び小説を書かせることの遠因になっているのだから、人生とは本当に先がわからない。自分が最後に好きになった女性が小説のヒロインのモデルになったのはある意味では、運命だったのかもしれない。

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今日の写真のモデルはMumeiさん。
今週のお題「人生最大の危機」