淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

細々と小説の執筆も進めています

 ある友人と呑んでいる時に、はっきりと言われたことがある。自分が撮っている写真よりも、時折書いている小説の方に期待していると。
 何も期待されないよりはマシかもしれないし、酒の席での話だったので、お世辞か社交辞令だったという可能性も否定できない。

 ただ、小説の方はたまたま積み重ねてきたものが多いので、稀に身内だけでなく第三者からも評価されることもある。
 近々でも、ある文芸誌に自分の名前と作品名が掲載されたばかりか、作者である自分の意図をある程度くみ取ってもらえた評文を専門家に書いてもらえたのは、嬉しかった。
 生意気かもしれないが、やっとかと言う気持ちも正直あったが。

 悪い意味でも良い意味でも調子に乗りやすい自分。上記の評文でテンションが上がったので、半年ぶりに小説の執筆を始めた。
 同人誌に出戻ってからは原稿用紙100枚ほどの短編しか書いてこなかったので、次作はあるテーマに沿ったショートショートを三編書くつもりだ。ただ、ショートショートを書き連ねるだけでなくて、少なくともそのうちの一編は実験的な試みを考えている。

 半年ほど同人誌に小説は著していなかったが、同人誌内の賞を受賞した謝辞や、創刊25周年パーティー世話人を務めたので、その報告記などは書いている。
 それらを書いている時は、文章のテーマと字数が決まっていたことが辛かった。特に謝辞に関しては字数制限が本当にきつく、最後の推敲時には助詞や助動詞レベルまで洗い直したほどだ。

 それに比べると、小説は事実でないことを文章にできることはもちろん、テーマも文章量も基本的には自由なので、書きやすさを感じると思っていた。
 だが、書きはじめるとその自由さに最初は戸惑ったのは、自分でも不思議だった。

 今まで小説を書くときに苦労していた描写のひとつは、登場人物の服装。特に女性の場合、困ることが多かった。
 ある女性同人にお酒を呑んでいる時に相談すると、ファッション雑誌を買って見ることを助言されたことがあった。
 流石にその提案は取り入れなかった。いかにもおしゃれに縁遠そうな男が本屋で女性のファッション雑誌を探していたら、変に思われるのは必至だからだ。

 だが、今ではそんなことは必要なくなった。女性のポートレートを撮ることになって、普段から女性たちの装いが知らず知らずのうちに目に入るようになったからだ。
 結婚した当初、妻の買い物にイヤイヤ着いて行った同一人物とはとても思えない。人は変われば変わるものだ。

 近々、娘に会うために妻の実家まで行くことになっている。その時に妻を見たら、その装いは気になるのだろうか。それとも今までと同じように、それほど気にならないのだろうか。
 そのこと自体が少し気になりはじめた。

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今日の写真のモデルは桃瀬さやさん。