なにかとネガティブになりがちな自分。そんな時、自分がまわりに与えているイメージを自己分析すると、主にふたつのキーワードに集約できる。それぞれのキーワードは『投げやり』と『やさぐれる』。
ちょっと前までは自分がネガティブなモードに陥った時、まわりにはかなり迷惑をかけていたという自覚はある。本当にどうしようもない奴だ。
自分のネガティブモードが数年前よりはマシになった。その代わりに自分の身近な人間が負のオーラをまとっているのには敏感になっていると思う。思うという表現にしたのは、自分だけの勘違いの可能性も否定できないからだ。
とりあえず、勘違いかどうかの可能性は置いておいて、ここ最近の自分の友人の中で、やさぐれていることが気になってしまう人物が二人いる。
その二人にはいくつかの共通点がある。自分と知り合った時期が20歳過ぎ。それぞれ別に仕事上で一緒に働いたことがきっかけだ。
高卒の自分にとっては珍しく高学歴。一人は名古屋市内で一番の公立大学、一人は私立大学の大学院を卒業している修士だ。
仕事内容は理系職でエンジニア、それぞれ結婚して妻子が居るが、妻と知り合ったきっかけが職場恋愛だということも、一致している。
ひょっとしたらまだ他にも共通点あるかもしれないが、上記に挙げた分でもそれなりに多い。これだけ多かったらなにか必然的な理由があるのでは、と考えざるを得ないが本当のところはどうなのだろう? そのうちの一人と先月末の夜、久しぶりに一緒にグラスを傾けた。きっかけは、友人が所属している会社は自分が作業していた会社だったからだ。彼はバリバリのTOYOTA系列の会社に勤めるプロパー社員なのだ。
だが、面白いことに彼は自分以上に自分が所属している会社のことを嫌っている。昨年末に会ってお酒を呑んだ時の彼は、自分の会社が潰れればいいのに、と何度も呟いていたのが今でも忘れられない。
月末に呑んだ時も、人目を避けられる街で呑むことを友人は提案した。TOYOTA系列の会社ではプロパー社員と外注の人間が二人きりでお酒を呑んでいるのが誰かに見つかると、ただならぬ空気に見舞われるのだろう、きっと。
その二人の間の過去にどんな関連性があったとしても。
大会社の人間とその会社から仕事とお金を恵んでもらうことが、彼らの心の中に間違った優位性でも芽生えさせているのだろうか。TOYOTA系列の会社のプロパー社員になったことはないので、上手く想像できないが。
どうでもいいけれど、大会社に勤めているというだけで、女性からチヤホヤされるのだろうか。もし、そうであるならば時と場合を選んだ時のみ、大会社に勤めている擬態ができれば、人生がよりよく愉しめる気がしてきたが、どうだろう?