昨日は祖母の23回忌。
庄内緑地公園で午前中にポートレートを撮影した後の午後、我が家が檀家になっているお寺にお参りした。そのお寺は実家から歩いて数分のところにあるが、マスヲの自宅からは車だと10分ほどの距離になる。
母から先に向かっているとメールが入ったので、実家に寄ることなく直接、ハンドルをお寺に向けた。
山門の脇を抜けて車をお寺の駐車場に入れると、他に車は一台も停まっていなかった。
車から降りると真っ直ぐに本堂に歩くと、奥の方から母の話し声が聞こえた。中で住職の奥さんと話しているようだった。
どうやら、祖母の23回忌のお参りをするのは自分と母だけのようだった。
母に弟のことを聞くと、福島に行っているとのこと。一応、仕事だと口にしていたらしいが、母親の口ぶりだと半信半疑のように捉えている節が窺えた。
まあ、自分だったら仕事がどんなに忙しくても大手を振って休むのだが、実の兄弟でも40年以上も生きていると、仕事ひとつの価値観を取っても、こんなにも違ってしまうのだ。
もちろん、法事にお参りしなかったことをなじったり、糾弾するつもりもない。自分にそんな資格もないし、言えた義理でもない。
もっと言うならば、法事に参加するどころか墓参りくらいするべき人間を少なくとも二人、知っていることもある。
その二人とは父の姉と弟。つまり自分からみれば叔母と叔父になる人物だ。
祖母と祖父は生前に、二男一女をもうけていたのだ。
当初、今日の記事で祖母のことを書く気なんてさらさらなかったが、直前になって突然に考えを改めた。
今まで、このblogで祖母のことを書いたことがないことに気づいたからだ。
また、blog以外の文章でも同じだし、フィクションである小説においても祖母がモデルにした登場人物すら書いたことがないのは、自分でも不思議な気がする。
自分が物心をついたときには、当たり前のようにいつも祖母と祖父が居た。自分の父が長男で祖父祖母と同居していたからだ。
母と父は就寝時を中心とした時間は母屋ではなく、離れで過ごしていた。自分は小学校の高学年くらいから父母と離れ、一日中母屋で過ごすことになった。
自分が20代の中頃に亡くなった祖父と祖母。先に亡くなったのは祖母で、彼女を追うように翌年に祖父が亡くなった。
自分のわちゃわちゃした性格は祖父よりも祖母の影響だろう。20年以上も一緒に生活をし、毎日のようになにかと言われ続ければ、ある意味では当然かもしれない。
昨日、お寺の本堂で住職の読経を聞いているときに思った。決して狭くはない本堂で、住職の背中を見ていたのは母と自分だけ。
祖母が死んだ時に感情的な言動を見せた、叔母と叔父の姿はなかった。父と違ってまだ、この浮世に漂っているはずなのに。
亡くなった祖母が今、自分に教えていることはひとつ。死んだあとのアニバーサリーは当人の生前の振る舞いが現れることだ。
自分の23回忌は行われるのだろうか。もし、執り行われるのであれば、誰が手をあわせてくれるのだろうか。
そのことはおそらく、知る由もないだろうが。