今日で今月も終わる。自分にとって今年は様々な変化があったこともあって、慌ただしいことも多かった。
結婚式でオッサンがするスピーチではないけれど、様々な坂があった。登り坂、下り坂、そしていくつものまさかが。
仕事においてもつい先日、まさかが起きてしまった。そのまさかとは、今の現場での作業が今月末までになってしまったことだ。 正直、予兆というか予感させるものはあった。とにかく、現場のリーダーと合わなかったからだ。他二名の女性メンバーとも。
自分の前任者が一週間くらいで離脱したのが、今思えば納得できる。
それでもこちら側の営業サイドは、全くその予兆を掴んでいなかった。
先週のある朝、通勤時に自社の営業とバッタリ会ったときのこと。今の現場での契約を口頭で確認したら、12月末までだとはっきりと口にした。
また、間に入っている会社からは今週木曜日のお昼休みに呼び出され、セキュリティー的な面での誓約を誓う、いくつかの書類に署名及び捺印をさせられたばかりだったからだ。
今となってみれば、自分が犠牲にした、あのお昼休みの数十分間は何だったのかを寂しく思う。
それでも、こういう目に遭うことこそがお金を稼ぐことなのだろう。納得いかない理不尽な目にあうことが。
人によっては、その憂さを晴らすためにお酒に逃げたり、ギャンブルに走ったりする。
それでも負の感情を紛らわすことができなくなった場合には、様々な悲しい事件や事故を人は起こしてしまうのだろう。
社畜に再び戻ってからの自分は、ほとんどのことを諦めている。仕事まわりで起きる厄介ごとのほとんどを。
何も期待しないこと、嫌なことが起きたら目をつむって、耳を塞ぐしかないとは思っているが、感情的な自分にとっては聖職者の如く何もなかったかのようにやり過ごすのは難しい。
まわりに対して行動や口にこそ出さないが、心の中で毒つくくらいは日常茶飯事だ。もっというと、相手に対して酷いことが起きるように祈ったり、願ったりしたことも一度や二度ではないだろう、きっと。
そんな感情に支配されるのは一瞬のことなので、すぐに忘れてしまっているはずだ。
もし、自分に不思議な力が宿っていたら、とんでもないことになっている気がする、今日このごろ。考えるだけで、怖ささえ感じてしまう。
逆に自分が他人からはっきりとそのような感情を抱かれた経験は、結婚してからは一度ある。子供が産まれる前の妻に、次のような言葉を吐き捨てられた。死ね、と。
格好つける訳ではないが、自分は妻に対して同じような言葉を口にしたことも、心の中で言ったことは一度もない。
もちろん、妻だけでなく他の身内に対しても。