社会人になってから一番苦労した仕事と聞かれたら、自分は次のように答える。宅配便のドライバーをしていた時だと。苦しみながら配達しているときに、何度か思ったことがある。今、他の車にはねられたら、楽になれるだろう、と。
現在、自分が働いているITの仕事は宅配ドライバーをしているよりは楽だし、そのように考え続けられたので10年以上もこの業界に身を置けたのだろう。宅配ドライバーは1年と半年ほどしか続けられなかったのに。
社内SEなどをしていたときなどには、インフラ関係の仕事もしたことはあるものの、自分が主に従事してきたのは、システムよりの仕事だ。
今まで関わってきたシステムの開発や保守の仕事の中で、三番目や四番目に辛かったものを尋ねられたら考えてしまうが、一番と二番は即答できる。
だが、自分の中で一番と二番の差は圧倒的だ。もう一度、一番辛かった現場と同じ環境で働けと言われたら、今の自分ならおそらく逃げ出すだろう。
一番辛かった現場では幾人かの戦友ができた。昨夜は、その時の戦友二人と久しぶりにグラスをかたむけた。一人は自分よりもふたつ歳下、もう一人は自分と同じ年齢だ。
三人とも当時は三十路半ばの妻帯者。自分以外は子供も設けていた。
昨夜二人にあったのが、久しぶりだったので自分に娘が産まれていたことを驚かれた。 三人の中で一番歳下の彼が、乾杯するやいなや会話の口火を切った。彼自身が離婚したことを口にしたのだ。
彼が続けて話してくれたことには驚いた。
45歳になっていても髪は黒くて、髪量も10年前のまま。顔立ちも多少は皺が増えたかな、と思わせる程度。30代後半と言われても、通用するだろう。
当時から彼は呑むのも、夜遊びも女性も好きだった。彼から離婚を聞いたとき、彼のそれらが原因だと思ったのだが、違っていた。
表面上は性格の不一致としたそうだが、妻に好きな人ができたことが本当の理由らしい。
歳下の同士が腹を割ってそこまで話してくれたので、自分も妻と別居を続けて数年は経っていることを話した。別居になった経緯も含めて。
自分が日焼けしていることも指摘されたので、写真撮影にはまっていることと、持ち歩いているポートフォリオを彼らに見てもらった。
ポートフォリオを昨日、久しぶりに見直したばかりだったのだが、彼ら二人が好きなモデルさんが一致していたのは興味深かった。
仕事においては、なにかにつけて辛かったあの頃。それでも、あの頃をなんとかくぐり抜けることができたので、今の自分がある。
二人は明日も仕事なので早めに別れたが、半年後とは言わず、3か月後くらいには会うことを互いに約束して別れた。
別れたはずだったが、そのあとすぐに全員が同じ場所に向かった。その場所とは名駅地下街のTOILET。
考えたら当時、何度か一緒に連れションくらいはしていたかもしれない。