淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

令和になっても年賀状

 昨日の夕方、母がひょっこり尋ねてきた。
 先月まではほぼ毎週末の一日は、実家で夕食を食べていた、自分が灯油の移動販売をするまでは。
 そのせいかどうかはわからないが、たいした用事があったとは思えなかったが、自分の家までわざわざ来たのだ。
 車で10分ほどの距離なので、実家から遠くないこともあるだろうが、それ以上に子供のことが気になるのだろう。いくつになっても親はやはり親なのだ。
 結婚してからは、妻の両親からもそんなことを感じたし、自分に娘が産まれてからは尚更だ。

 鬱陶しい気持ちもあったが、親の相手をするのも大人ってもんだろう。
 たいして意味もない話をしていると、話題は必要性があるものに変わった。その話題とは年賀状について。
 数年前までは、自分の友人が郵便局員だったこともあって、年賀状の購入をまとめて自分がした年も何回かあった。
 いつのころからか母の年賀状の通信面については、パソコンとインクジェットプリンターで自分が印刷するようにもなっていた。

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近所の土手からのワンショット。
 亡くなった父はメカニカルエンジニアだった。
 仕事をする際はCADを使用していたし、弟も仕事でパソコンを使うので実家に数台のパソコンはあるが、インクジェットプリンターは無い。
 父は仕事上で複合機を使ってはいたが、カラー印刷は必要でなかったようだ。

 母と二人、年賀状を辞めようかという話も出たが、結局は書くことになった。
 世間でも年々、年賀状のやりとりが減っていることはなんとなく認識しているし、今年はさらに減少ペースが加速するのではないか。
 消費税も上がって市井の人々の暮らしは益々、厳しくなる一方。
 今年の年賀状は1枚63円。50枚出せば3,000円超の出費だ。3,000円あれば、鳥貴族などの安い居酒屋で一時を楽しむことだってできる。
 若者が年賀状を出さない訳は、こんなところにもあるのかもしれない。

 自分が今年も年賀状を送ろうと思った理由は喪中葉書を数枚、受け取ったから。
 縁起でもないかもしれないが、送った人と受け取った自分が来年、どうなっているかはわからないと感じたからだ。
 母が自分に対して、次のように言ったのが印象に残っている。生存確認になるしね、と。

 自分は厄年をとうに越して50歳に近い。年齢的に何かが起きる可能性が上がることはあっても、下がることはないはずだ。毎日を必死に過ごしていても、ぼんやりと暮らしていても。
 来年は年賀状を出すかどうかを悩んだりすることさえ、出来るとは限らない。

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今日の写真のモデルはいずみさん。