淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

一度くらいは

 年賀状の通信面のデザインがやっと決まった。
 母親の分の年賀状を印刷しているときに、自分がどうするかを聞かれたのだ。
 正直、その時にはまだ全くの白紙だったが、意思よりも先に意外な言葉が口に出ていた。
 母親は何を思ってその言葉を聞いていたのだろう?

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昨日に訪れた、ささしま米野歩道橋(オーバーパス)でのワンショット。
 自分が年賀状を書き出したのが何歳だったかは、正確には覚えていない。おそらく、小学校に入学してからだったと思う。
 年賀状を書き出してから数年は、木版を刷っていた。
 そのころの父は毎年、木版を彫っていたので真似していたのだろう。

 昔から、不器用さでは誰にも負けなかったマスヲ。それなりに一生懸命に彫刻刀を使い、手や葉書を汚しながらも必死に刷っていたのが、懐かしい。
 プリントゴッコが流行っても、我が家にはやってくることはなかった。

 社会人になるころには、流石に木版はやめていた。自分がどういうものを送っていたかは覚えていないが、まわりから送られてくる年賀状が次第に変わっていったのは覚えている。
 結婚した友人たちからの年賀状が、写真に変わっていったのだ。結婚式の写真や産まれてきた子供たちが写っているものに。
 独身時代はもちろんのこと、結婚してからも写真が使ってある年賀状を冷ややかに見ていた。
 このblogを書きはじめたころ、次のようなことも書いたこともあった。
hatehatehahaha.hatenablog.com
 ある会社に勤めていたころ、同僚に思わず言ったことがある。何故、家族の写真を送ってくるのかを。
 職位などは一緒だったが、歳が10くらいは上だったし、職場では彼の方がずっと先輩だった相手に対して。
 相手は申し訳なさそうに、次のように言ったのを記憶している。嫁さんがそうしたいらしい、と。
 その職場は12月が繁忙期なこともあって、事情はすぐに呑み込めた。年賀状を書いているのも、おそらく彼ではなくて、妻であることも。

 母に聞かれて咄嗟に自分が口にした答えは、娘の写真を使うことだった。
 自分でも驚いたが、すぐに悪くないアイデアのように思えてきた。
 今年は春以降、一眼レフカメラでの写真撮影に魅せられてきたし、夏には娘自身の希望で彼女の写真を撮っていた。
 その中から写真を選んで先ほど、通信面に印刷したところだ。

 毎年、自分の年賀状を受け取っている友人がこの記事を読んでいたら、今年くらいは大目に見て欲しい。
 今まで自分が掲げてきた主張を覆すことになったが令和になったことだし、今年だけだと思うので。
 娘も来年の四月になれば、小学校5年生。そろそろ、父親に写真を撮らせてはくれない年頃だろうから。

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今日の写真のモデルは神井レナさん。