昨日、夕食を食べているとインターホンが鳴った。インターホン越しに会話をすると、宅配便のドライバーだった。
荷物の受け取りのために玄関の扉を明けた途端、何かが目に入って驚きの声をあげた。
自分の視野に突然、入ったのは宅配便のドライバー。彼は門の外ではなくて、玄関の扉近くに立っていたのだろう。
自分が宅配便のドライバーだったころ、上司である所長たちなどから、よく言われていたことがある。
配達するときに配達先の了承が無い状態で門を潜ってはいけない、と。
その時の自分は理由がわかっていなかったが、昨夜の経験で少しは理解できた気がする。
また、そのドライバーが門の前ではなくて、玄関の前に立っていた理由も。山場は過ぎているとはいえ、お歳暮シーズンでドライバーも疲れていたのだろう、きっと。
自分だけでなく、人は当事者になったことがあっても、時が過ぎればその痛みの多くを忘れていくのではないだろうか。
自分もかつて宅配をしていたのだが、当時は20年ほど前。今とは状況が全く違うだろう。
それこそ、Amazonはあったが、送られてくる荷物はまだまだ少なかった。同じ通販でも化粧品や家電の方がはるかに多かった。
Amazonで商品を買う際に、自分が困っているのは荷物の受け取り。仕事柄、残業が多いので配達時間を夕方に指定しても、受け取ることができないことは、しばしば。
ヤマトやゆうパックであれば、センターや郵便局まで足を向ければ荷物を受け取れるのに。
そんな理由もあって先日、Amazonで買い物をしたときにあることを試してみた。
試したこととは、商品のコンビニ受け取り。自宅近くのファミリーマートを指定してみたのだ。
コンビニへの荷物の到着は、Amazonに登録してあるメールに連絡されてきた。
荷物が届いているはずのコンビニのカウンターに向かうと、店員からスマホでバーコードを表示して欲しいと言われた。
初めてだったこともあって自分が戸惑っていると、店内のFamiポートでもバーコードを印刷できることを店員は口にした。
一旦、カウンターから退去してスマホの操作をはじめた。Amazonから送付されてきたメールに書かれていたリンク先から、なんとかバーコードを表示することができたので、店員に見せた。
店員は薄いリアクションでバーコードを読み取り、自分に荷物を手渡した。
多少、まごついたが自分のように一人暮らしの人間にとっては、便利なサービスだろう。
だが、それもスマホをそれなりに使いこなせてこそ。自分の知人友人の全員がスマホを持っている訳ではない。スマホを持っていても、それなりに使いこなせているわけではないだろう。
高齢者をはじめとする、情報弱者はそれらのサービスからは零れがちになるだろう。
全く同じサービスを受けられないのに、それを受け取るためのコストを平等に負担するのはおかしくないだろうか。
今の自分はなんとか、最低限度にはスマホを使っている。
だが、これからも登場し続ける新しい情報機器を操作できなくなる日も、そんなに遠くない気もするがどうだろう?