淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

菜の花畑に誘われて

 昨日、ゲレンデからの帰り道でのこと。何カ所かで車を停めてスナップ写真を撮ったが、その一カ所は国道から目に留まった場所。国道から分け入ったナビがないと行けないような菜の花畑だった。ファインダー越しでも、その菜の花畑は魅力的だった。
 他のカメラマンと知り合うこともできたという、オマケまでついたのは僥倖だったと言えるのではないか。

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昨日、ゲレンデからの帰り道に撮影した菜の花畑。
 最近は毎日見ているような何気ない風景でも、何かを発見できる小さな幸せを味わえることが、稀にある。
 そんな感覚を持てるように自分がなったのは、カメラを手に取るようになってからだが、それもかなり最近のこと。

 昨年、ポートレートを撮り始めるとすぐに夢中になったが、コンスタントに撮っていた訳ではない。
 秋になってすぐに撮影のバイトをするとすぐに、自由な時間が少なくなった。
 バイト先の社長からの叱責は多かったが、毎週の土日両日の出勤を求められるようになり、続くようになった。
 現場では最低限の戦力に、自分はなっていたのだろう。

 撮影の仕事は、雇用主でもある社長の人格に問題があったせいで、苦痛で仕方がなかった。
 機会があったら、もう一度同じ環境で働くかと尋ねられたらすぐに即答はできないが、それなりには勉強にはなった。なっているはずだ、おそらく?

 その仕事を辞めてからのしばらくは、自分の撮影技術が全く変わらないように思えて仕方がなかった。
 どうにか打破しようとして、自分に次のような課題を与えた。少しでも多くのスナップ写真を撮るということを。

 自分の趣味のために課した課題だったが、当初は宿題のようにしか思えなかった。
 勉強ができる子供であれば、勉強することが楽しいのかもしれないが、当時の自分はスナップ写真を撮ることを楽しめていなかった。そんなハードルを自分で用意したのかを嫌になるくらいに。

 やがて、今の現場へ通勤するときにもカメラを持ち歩くようにした。雨が降る可能性がある時以外は。また、副業である灯油の巡回販売に行くときも。

 やっと、宿題の効果が出てきたのかもしれない。
 ここ1か月くらいになって、自分の中での変化に気がついた。スナップ写真を撮ることがいつの間にか楽しくなってきたのだ。

 ポートレートの被写体は人間。当たり前だが、感情があるし、自分がイメージしているものを撮りたければ、相手とのコミュニケーションが必要だ。
 だが、最近はそれが億劫に感じることがままある。
 一方、スナップ写真は相手の感情を気にする必要はないのが、時としては心地いい。

 この先、写真撮影への自分の情熱は続くのだろうか。写真への思いが冷めていなかったら、何を被写体として追い続けていくのだろう?
 少なくとも明日は、ポートレートを撮りにいく予定になっている。

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今日の写真のモデルはまやさん。彼女は自分にポートレートの魅力を教えてくれた素敵なモデルさんの一人。