見たり聞いたりして一度は心に響いたものでも、このごろはすぐに記憶から消えてしまう。
50に近づいた年齢のことを思えば仕方がないのかもしれないが。
それでも若い時に触れて印象に残っていると思っていたはずのことが、振り返ることができなかったと気がついた時には、戸惑いとちょっとした寂しさを感じてしまう。 今日は七月七日の七夕だが、昨日がサラダ記念日だったことには、全く気がつかなかった。
俵万智の歌集、『サラダ記念日』は自分が学生のころのベストセラー。今から30年も前のことだが。
誰もが思春期のころは、世間で人気があるものやちやほやされているものには、背を向けるようなところがないだろうか。少なくとも自分はそうだった。
今も当時も詩的センスなんてかけらも持ち合わせていない自分にとって、短歌集なんてなおさらのことだった。
中学校だったか高校のどちらかだったかははっきり覚えてはいないが、学校の図書館にサラダ記念日が置いてあったのが目に入ったので、なんとなく手に取った。
歌集なので活字が少ないこともあって、あっという間に終わりまで目を通せた。
感性が高い人だったら一字一区を味わうので、読むのに時間がかかったかもしれない。
愛とか恋とかについては、まるで何もわかっていなかったあのころ。
男同士の兄弟で育ったこともあってか、思春期を過ぎてしばらくまでは歳が近い女性を必要以上に意識して照れていた。ただ、がさつに生きていた気がする。
高校一年生のころ、古典の授業で伊勢物語が取り上げられた。教科の担当は中年のオッサン。
オッサン教師は熱く語っていた。男女の機知に富んだ物語であることを。
高校一年生だった自分には少しも理解ができていなかったが。
高校を卒業したあと、浪人生になって予備校の授業で伊勢物語に再会すると強く惹かれた。
今になって思う。やっと男女の間のことを少しは考えられるようになった年頃になったのだろう、と。
今まで好きになった人との間で、サラダ記念日に類似するようなアニバーサリーがない自分。
ひょっとしたら、そう思っているのは自分だけだったりして。誰かが自分との間で起きたことを特定の日に結びつけて強く覚えているようなことがあるのかもしれない。
もちろん良い印象だけでなく、悪い印象で記憶に残っている可能性だってあるが、どうなのだろう?