淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

帰宅中のメール

 15日の金曜日。五十日の週末だがそれ以上に自分には意味がある日。システムエンジニアとして勤めている会社の給料支払日だからだ。
 朝、スマホで自分の口座を確認すると給料らしき金額が入金されていたので少しホッとした。
 今まで働いたある会社で給料の遅配を味わったことがあるので、給料日には口座を確認する癖がついてしまった。

 夕方の帰宅中にハンドルを握っていると、会社からのメールの着信に気がついた。
 自分が所属する会社からの連絡は、年が明けてから二回目。一回目は自分が必用事項の連絡をしたメールの返信だった。
 今年一年、自社と何回の連絡があるのだろう? 事務的で無機的なやりとりが。三桁になることはないはずだ。

 メールの件名を見ただけで内容はわかった。給料明細書が自社のポータルサイトから確認できるようになったことの案内だった。
 給料日の前日に明細書を確認できると嬉しいのだが、そんな配慮はないようだ。

 客先常駐のシステムエンジニアとして働いていると、自分の所属会社からの連絡は煩わしいだけ。
 経験上、小言を言われるか面倒な作業を依頼されることがほとんどだから。

 そんな連絡が仕事を終えた後の帰宅中の時間にあると、気が重くなるのは自分だけではないらしい。
 先日、隣に座っているエンジニアも似たようなことを口にしていたから。

 ちなみに明日は予報によっては小雨が降る可能性もあるようだ。
 三月までの土曜日は雨と雪が降らないで欲しいのだが、自分がどうにかできるものでもない。

 副業の灯油の巡回販売の仕事は天候が悪いと作業効率が落ちる。体力が余計に消耗するだけでなく、リスクも増えるので。

 一月の冷たい雨に打たれて仕事をして、気持ちがよくなるような人はあまりいない気がする。
 ただ、自分が思っている以上に世間は広いし、様々な人がいる。
 冷たい雨に濡れると浮き立つような気持ちになる人もいるのかもしれない。
 会社からのメールをウキウキしながら待っている人も。

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今日の写真のモデルはともみさん。

パンケーキを食べていたりして

 今朝と今夕の通勤路の交通量は昨日と比べても減っていなかった。むしろ増えていたようにさえ思えた。
 緊急事態宣言の発出を受けて在宅勤務に変わったかを自分と同じ業界で仕事をしているある友人にLINEで尋ねたら答えはノー。
 昨年の宣言時にその友人はテレワークによって在宅勤務になっていたし、自分も同様だった。
www3.nhk.or.jp
 政府が緊急事態宣言を出しても、企業への出勤者を減らすことへ強制力はなく、要請しているのみ。
 特措法の改悪を考えるのではなく、他にできる他のアプローチを考える気は令和オジサンたちにはないのだろうか。
www.tokyo-np.co.jp
 今夜、浴室で湯に浸かりながらぼんやりしていると、人の動きを減らす方法が一つ思い浮かんだ。
 宣言が発出されている間だけ、公共交通機関の利用料金を値上げしたらどうだろう? しかも、思い切って倍くらいに。
 サラリーマンの通勤にかかる費用は会社が負担しているケースが多いはず。
 もし、通勤費などが倍になったら会社も社員を出社させる頻度を下げることを検討するだろう。無意味な出張の数を減らすことも。
 この方法であれば乗車率が減っても鉄道会社などがある程度の利益を担保できる。

 応用すれば自動車通勤者を減らすこともできるのではないか。
 一時的に有料道路の通行料金を値上げしたり、ガソリン税を高く設定すれば。

 素人の考えだから、税や法に関わっている専門家からは相手にされないどころか、馬鹿にされるかもしれない。
 だが、その道の玄人だとどうしても固定概念に囚われてしまって自由な発想が難しくなるのは当り前のこと。
 案外、素人の方が意外性のある他の新しい道を見つけたりできる気がする。

 北朝鮮や中国などの一党独裁国家ではない日本。
 おかしなところは増えてはいるが民主的な国家であることを建前としているのに、国民の私権を制限するように現行法を改悪しようとする動きを自分は危惧している。

 そんな政府の要人たちは今、何をしているのだろう?
 皆で仲良く夜食にパンケーキを食べていたりして。令和オジサン自ら焼いたパンケーキを。

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今日の写真のモデルはRIHOさん。

流行病への徒然

 自称コロナチキン。そんな自分が新型コロナウイルスについて思っていること、考えていることを今日は書き連ねたい。
 自分が住んでいる愛知県も二回目の緊急事態宣言の対象エリアになった。状況を考えると仕方がないだろう。

 自分が参考にしているサイトの情報によると1月12日現在で国内の実行再生算数は1.47、東京都は1.53、愛知県は1.42。
toyokeizai.net
 感染が鈍化するにはかなりの時間がかかりそうだ。
 宣言の期間は来月7日まで。今の状態だとその日に宣言を取り消すのは難しいのではないか。
 ひょっとしたら対象エリアが前回同様に全国へ広がる可能性だって考えられる。

 昨年に発出された緊急事態宣言が解除された後も夏に第二波が発生したこともあってか、秋口ころまでは人の動きも穏やかに見えた。
 組織も個人も新しい生活様式を意識しているように感じていたが、今思い返すと自分の誤解だった。
 どうも自分はまわりを性善説的に見てしまう癖が捨てられない。オッサンになってもまだまだ無邪気なところがあって、どこかで人を信じてしまう。

 今回のことで改めて確認できた。人や組織は変われないものだということを。過ちから学ぶことも。
 人は同じ過ちを何度も繰り返してきたし、これからも繰り返していくのだろう。

 一時、カラッポオバサンが押していた九月入学制の是非が論じられることがなくなったのは何故だろう?
 共通テストが迫った今になって、彼女の思いつきを再評価すべきなのではないか。
 新型コロナがなくならないのであれば現行の制度よりも学生にとっては九月に入学式を迎える方がメリットも高いだろうに。
 感染リスクが高まる冬が一番深まったころに人々の移動が減るメリットもある。

 昨日、NHKのニュースを見ていたら世論調査のある項目が興味深かった。
 その項目とは新型コロナウイルスのワクチン接種について。
「接種したい」が半数だったのに対して「接種したくない」が四割ほどだったのには納得した。自分は後者だから。
www.nhk.or.jp
 今のままだとワクチン接種は進まないだろう。
 令和オジサンは自ら接種すると口にしたが疑っているのは自分だけではないだろう。

 昨年末に何回か忘年会に誘われたが一度も参加していない。4人以上で対面してグラスを合わせることもなくなって数ヶ月。
 呑み会に参加しないことに慣れてきたが、その反動か甘い物には目がなくなっている。
 今日も仕事帰りに、ずっと気になっていたお店の鯛焼きを二尾買って食べた。
www.nipponichitaiyaki.com
 まだ他にもイチゴ大福と芋けんぴが気になっている店がある。
 どちらも愛知県内。買いに出かけて外出しても、それくらいならば自粛警察からとがめられないだろう。

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今日の写真のモデルはHARUさん。

卵焼き

 平日の夜は卵焼きを焼くことが多いこのごろ。夕食で食べるためではなく、翌日のお弁当のおかずのために。

 弁当男子になって三ヶ月以上が過ぎたが、夕食のおかずなどが流用できない時などはほぼ卵を焼いている。
 最初のころは具を入れないことがほとんどだったが、最近は具を入れている。
 色合いのよいカニカマを巻くことが増えているが今夜はほうれん草を入れた。

 甘い味付けの卵焼きも嫌いではないが、何故か自分では作る気がしない。
 毎回、味付けは変えている。塩胡椒、料理酒、みりん、白だし、醤油、牛乳、生クリームなどを組み合わせてアレンジしている。ときにはマヨネーズを混ぜることもある。
 夜更けにキッチンで卵焼きを焼いているアラフィフのオッサン。もし、他人が見たら哀愁を感じるかもしれない。

 卵焼きの代わりに目玉焼きを焼いて弁当のおかずにすることもたまにはある。焼きそばやナポリタンの時などは。
 硬すぎると美味しくないが、柔らかすぎないようにも気をつけている。翌日の昼までに弁当箱の中で目玉が崩れてしまわないように。

 今までに炒り卵やオムレツを弁当箱に詰めたことはない。
 子どものころは母がよく炒り卵を作ってくれたし、自分でもよく作ったものなのだが。
 焼き立ての炒り卵を炊き立てのご飯にのせて頬張るのは、玉子ご飯とはまた違ってなかなか乙なもの。

 弁当用の冷凍食品にはオムレツもラインナップされているが買ったことはない。自然解凍でも使えるのでスーパーの冷凍食品売場で手に取ったことが何度かあったが、買物カゴには入れなかった。
 最近の冷凍食品はよく出来ているので、試してみると気に入るかもしれないのだが。

 卵焼きに使う玉子は一個。朝や夜の食事でも玉子を食べることがあるので、平均すると一日に一個以上は食べているだろう。

 6個入りのパックを買うこともあるが、10個入りのものもよく買う。
 玉子を買う場所には不自由しない。スーパーだけでなくコンビニでも普通に買えるし、大型のドラッグストアでもたいていは置いてあるから。

 明日の昼も車で一人、自分の卵焼きを味わうはずだ。そんな日々はあとどれくらい続くのだろう?

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今日の写真のモデルはarinaさん。

成人式の記憶よりも

 自分より歳下の人間に昔話をすることを自戒しているこのごろ。
 そのかわりに気ままに書いているこのblogでは、自分の過去の話を好きなだけ触れてもいいだろう。

 自分が成人式に参加したのはおよそ30年前。そう書いただけで随分と歳を取った気がするが、事実なのだから仕方がない。
 当時の自分は学生でもなく、会社員でもなかった宙ぶらりんの状態。それでも厚かましくも成人式に参加した。
 親が作ってくれたフルオーダーのダブルのスーツを着て。ちなみにその後にそのスーツを着た記憶はない。

 当日は雪が降っていた。成人式の会場だったのは卒業した中学校の体育館。
 そんな場所に体育服でもジャージ姿でもなくて、一張羅を着て同窓生たちが数年ぶりに集まった。

 式中のことばかりでなく再会した同窓たちにちなんだ記憶もほとんど残っていない。
 昔好きだった同級生にも再会したはずなのだが、そんな彼女のことすら覚えていないのだ。
 若い女性の和装が好きではないことが理由なのかもしれない。着物を着慣れていない女性を見ると七五三みたいで、こちらが恥ずかしくなってくるから。

 それでも記憶をひねり出して成人式の日の思い出を書いてみる。
 式の日の夕方、親しい友人たちとチェーン店の居酒屋へ呑みに行った気がする。
 幼馴染みの一人が日本酒で悪酔いしたこと、そんな友人を気にしながら市バスで帰ってきたことをおぼろげに覚えている。
 あってもなくてもよかったような一日だったと今では思う。

 それよりも印象強く記憶に残っているのは、成人式から数日後に自分の友人が亡くなったこと。彼とは中学校と高校も一緒だった。
 葬式の日も雪は降らなかったが寒い日だった。葬儀は友人宅で行われ、出棺の光景は成人式のことよりも覚えている。

 亡くなった友人とは中高の六年間一緒だったのに、自分が知らない女性が何人も泣いていたのに驚いたし、違和感を覚えた。自分が全く泣けなかったからかもしれない。
 その時の自分は友人の死を受け入れることができなかったからではないかと、今になって思う。

 それから今まで何人もの人を見送ってきた。
 幸いなことにここ数年は葬式にも通夜にも縁がない。今年も喪服を着る必用がないことを願っている。

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今日の写真のモデルはねっこさん。