別居している娘が最近マスヲの仕事がどのようなものかに興味を持ちだした。
娘は今、小学校の2年生。今の仕事を説明するのは彼女の年齢を考えると少し難しいと思うし、照れもあるのでなんとなくしか説明していない。
むかしの仕事ならばこちらも照れも少ないし、彼女の年齢を考えてもわかりやすいと考えたので、毎年この時期に訪ねている昔のお客さんのお店につれて行った。
お客さんと言ってもマスヲと年齢も一緒で、若いころは飲みにいくのはもちろん、コンパにも誘ってくれたくらいの気心の知れた仲だ。
そのころマスヲは生花の仲卸の会社に勤めていた。
彼と仲良くなったきっかけは、彼の母親が経営していたフラワーショップに配達に行ったときに、息子を会社で修業させてもらいたいとの、彼女の申し出からだった。
もちろん、今も昔も会社も違ってもマスヲはヒラリーマン。一旦、持ち帰り社長に相談したら了承が出たので、彼が週に3日アルバイトをすることになったのだ。
今から20年ほどのむかしの話を蒸し返すようで、彼には悪いのだが、当時はお互い20歳そこそこ。
若者の特権かお互いに夜は強いのだが朝は弱かった。マスヲは社員の中では当時最年少で使いぱっしり。
市場の業界は朝早いのは当たり前なのだが、マスヲの場合は全社員の中でも出社に求められた時間は一番早かった。
曜日によっては深夜2時に出勤しても怒られるほどで、他の社員より早く起きて出勤しているせいもあって当時はまったく納得できなかった。
その一方で彼が出社に求められた時間は4時。それでもよく遅刻をし、その度にマスヲが電話で起こしたのが今では懐かしい。
そんな彼も、母親から店を譲ってもらってからは人が変わっていき、今では仕入れも仲卸だけでなく地方卸売市場からも直接買い付けるほどになり、ここ10年ほどは公私とも彼の方が大人になりきっており、子供のままのマスヲに彼がなにかと忠告してくれるほどだ。
彼も僕の娘に以前から会いたがっていたので昨日、ふたりで来店することと花束を3束買うことを電話で伝えていたが、当時はGWと母の日が離れている場合はフラワーショップの売り上げが悪いということが業界内で一般的に言われていたので、母の日の前日と言っても娘にある程度花束にしてもらう花を選んでもらう余裕くらいはあるだろうと楽観していた。
午前中は別の用事で出かけていたのだが、他のフラワーショップの前を通るたびに駐車場を気にしても、それほどの台数が止まってないので、今年はGWと母の日が最大に離れているので、マスヲの読み通りだなと思っていた。
娘のスイミングスクールが終わり、彼の店に向かった。
出発したのは16時30分ころだった。今日は天気がよくないせいで人があまり外に出ていないせいか、道に車が少なくて普段の半分ほどの時間で彼の店に着いた。
すると、マスヲの予想は見事に外れていて店は大混雑だった。とても友人と話をする暇はなく、若い店員にこちらの要望を依頼すると、明日でもいいですかと言われる始末。
仕方がないので、娘に妻と義母と自分の母親にそれぞれ作り置きしてあったアレンジフラワーを選ばせた。
友人の奥さんが少し気を使った様子で、メッセージカードの置いてある場所を教えてくれて娘にメッセージをそれぞれに書いてもらったのを添えてもらった。
友人と奥さんに今度またゆっくりと遊びにくることを伝えて店を出た。毎年、同じことを言っている気がするが、お互いに業種も違い、休みも違うので仕方がないのだが、そろそろ彼とは久しぶりにゆっくり飲みたいと今年こそは思っているのだが、来年も同じことを言っている気もする。
事前に実家に娘と一緒に遊びに行くので、夕食の用意を母親に頼んでいたのだが、お店の滞在時間が予想より短くなったことや帰り道も空いていたこともあって、実家に着くのも予定よりも早くなってしまった。
娘からアレンジフラワーを受け取ると喜んでいたが、予定より早すぎて夕食の準備ができていないと愚痴られた。
仕方がないので、弟と彼がよくいく揚げ物専門の惣菜屋に串カツをマスヲと娘の3人で買いに行くことにした。
むかしはそのあたりをマスヲも自転車でふらついていたが、現在は実家と二駅ほど離れた場所に居を構えていることもあり、行く道中や総菜屋近辺の変化を見ているだけでも飽きなかった。
店に着いてお客が注文してから、惣菜をあげるので少々待たされることになった。
その間、弟の友人の1人の離婚が決定したらしく、その養育費と慰謝料をやたらに強調していた。月に30万らしい。
しかも、原因は弟の友人(旦那)側の浮気が原因で、その相手とさらに再婚する予定だという。
独身の弟は最近特に結婚したがっているが、彼はどういう気持ちでわざわざマスヲと娘の前でそんな話をしたのだろうか。
マスヲは何も言わずにただうなずいて聞いていただけだった。
総菜屋から戻り、母親と弟と4人で食事をしたが娘が箸を置いたのは20時過ぎだったが、時間が過ぎるのが早く感じた。食後に亡くなった父親に仏壇で手を合わせても帰りたがらなかったが、マスヲの車までおんぶ抱っこをすることを条件に娘をなだめた。
肩車をすることは会うたびにしているが、さすがに小学校2年になった娘をおんぶするのは久しぶりのせいもあってか思っていた以上に重く感じたし、幼少時に感じた彼女の臭いも変わっていると思った。
帰り道に彼女は保育園時代にマスヲが送ってくれた思い出を語りだした。すると彼女はその保育園の前を通って欲しいと言われたので、遠回りになるがその通りにした。
保育園の前まで来るとマスヲもなんとなく車を止めてしまった。
「何も見えないね、電気を点けて」と娘は言った。
マスヲは車中灯をつけた。
「ブランコも見えない」娘はさびしそうだった。
車をゆっくりと走らせ初めて、保育園前の裏道から幹線道路に出た。
「通っているスイミングスクールの場所を教えてあげる」娘は続けた。「少し遠回りになるけどいいでしょ」
マスヲも了承した。
「このまま道のりで」、と彼女が『道なり』と言い間違えたのもかわいらしかった。
「道なり」と言うんだよとマスヲは優しく訂正した。
車の運転しない人の道案内は、ドライバーにとっては分かりにくいのは普通だと思うのだが、しかも彼女がスイミングスクールに行く時間は日中で明るいせいもあるだろうが、明らかに何度も道を間違えた。
こちらがナビで調べることを提案しても、ムキになって拒否をされたのも気になった。
なんとなくワザとかもしれないとマスヲが思うようになると、切なくなってきた。
何とか彼女の説明と自分も大体の場所を知っていたこともあり、スイミングスクールの前についた。
スイミングスクールにはいくいくつもの駐車場があり、娘はそのすべてを回って案内従ったが、一方通行の都合もあることをマスヲが説明すると、残念がりながらも了承してくれた。
娘を妻の実家に送り届けると21時を少し回っていた。娘を妻と義母が出迎えてくれたので、予定より少し遅れたことをマスヲは詫びた。
本当は花束を買うことを想定していたのだが、友人の店が忙しくて娘が2人に対してアレンジフラワーを選んだこととメッセージカードを一生懸命書いていた様子だけを伝えると、ふたりともさらに気分が高揚しているようだった。
それだけ伝えるとすぐにマスヲは帰宅した。その時のこちらの気持ちをその場にいた3人に知られたくなかったからかもしれない。
帰宅してこの文章を書いていると娘との別居がはじまったころに娘に聞かれたことがあるセリフを思い出しながら。
彼女はこちらを覗き込むようにそう言ったのだ。
「お父さんはひとりでさびしくないの?」