淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

祝・たんぱく宣言50日継続企画 マスヲが文章を書くようになったわけ

 今回の記事でたんぱく宣言は50日の継続、そして50個目の記事となる。
 これも架空の読者とリアルな読者のお陰だと思って感謝している。
 リアル読者の中には、口頭やメールで様々な意見を聞かせてくれる方もいて、それもblogを続けてこれた励みになっている。

 さて、今回は50回を勝手に自分で記念していつもの趣向と異なるが、マスヲがなぜ文書を書こうと思うようになったかを、書いてみようと思う。
 自分で言うのもなんだが、若い時の一時期にかなりの本を読んでいた時期があった。
 その時のあるエッセイか評論かだったと思うが(著作名は今でも時々調べるのだが不明)その中に次のような言葉があった。
『多読魔はのぞき見趣味と一緒』。
 マスヲはこの言葉にショックを受けて、しばらく読書から遠ざかることになる。

 本を読むことから遠ざかっていたある日のこと、「6:30に耳障りな音で目が覚めた日」に登場する友人に名古屋では有名な老舗書籍店に誘われた。
 彼はその当時、日本を愛しすぎていた真最中で三島由紀夫関連の本を何冊か選んで買っていたのを覚えている。
 その間、マスヲは書店内をぶらぶらしていたのだが今までにない書籍のコーナーで足が止まった。現代小説のコーナーだった。

 一旦、読書を辞めるまではエッセイや評論などのノンフィクションも読んでいたが、フィクションは歴史小説ばかりを読んでいた。
 その時に数冊の本を購入したと思うのだが、その中にマスヲの人生に影響与えた作品のひとつと出会うことになる。
 村上春樹著の『ノルウェイの森』である。そして、この作品を読むことによってマスヲはエセハルキストになってしまった。
 それをきっかけに現代小説を続けて読み続けるようになった。
 ある程度読み続けていると、芥川賞直木賞などの受賞はある程度ニュースとして扱われるし、書店でも受賞のタイミングで山積みとなることが多いので、興味をひかれやすい。
 それもあってか、第117回直木三十五賞受賞作品、篠田節子さんの『女たちのジハード』を購入して読んだのだ。
 読んだあとにマスヲはこう思ったというより、こう思い上がった。
 彼女がカルチャーセンターの小説執筆講座に通ったことが分かったので、これくらいの作品だったらマスヲもそのような講座に通えば書けるのではないかと勘違いしたのだ。
 20代の若い時と言っても、今思うとプロ作家である篠田節子さんに対しても失礼であると考えるし、自分に対しての自惚れも相当ひどかったと思う。

 マスヲは地元のカルチャーセンターの講座紹介のパンフレットから似たような講座を見つけて、すぐに申し込んだ。
 ラッキーだったのはこの講座の受講には、月はじめからで人数に空きがあればいつからでも参加できたことだ。
 受講がはじまると少々戸惑った。カルチャーセンターの講座というので何かテキストがあって手取り足取りゼロから教えてくれるようなイメージで参加したからだ。
 実際の講座の内容は受講者がエッセイや小説の作品を講師に提出し、次回までに講師が読んできて作品について皆の前で批評及び添削すると方法で進められた。
 場合によっては講師が受講者に作品の感想を求めることもあった。

 ようするに参加しているだけでは意味がなく、実際に何か文章を書かなければならなかった。
 マスヲは意を決して文書を書いて提出した。他の受講者の方々の作品がマスヲにとってはそれなりに書けていると思われるようなものでも、講師に厳しく言われていることが多かったからだ。

 提出した次回の講座になった。批評がはじまると予想通り厳しく指摘を受けた。
 指摘の中でも以外だったのが、その当時マスヲはかなり長い間日記を続けていたので、文法などにはある程度の自信があったのだが、『てにをは』がまったくできていないなど、文章の記述方法にたいすることばかりを駄目出しされた。

 だが、講師には最後にこう言われたのだ。
 作品の書いてある内容は非常に面白い、と。
 文法や文章を書くテクニックなどは教えてもらって書き続ければ修正できるし、向上できるのだが書く内容やテーマの面白さと言うのはその人の個性や才能によるものなので、向上させるのは難しいと。
 あなたにはそういったセンスがあるかもしれないから、これからも書き続けた方がいいと、最後に少しだけ褒められた。
 時間の比率にすれば1:20くらいだったと思うが、この言葉が忘れられずに何とか1年近くその講座を受講できたおかげで、今このblogの読者に何とか読んでもらえる最低限の文章を何とか書けていると思っている。