淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

今年の流行語大賞を予想する

 そろそろ世間では今年のいろいろな物事の総括が始まる時期だろう。文書を読んだり、書いたりすることを楽しんでいる自分としては毎年気になっている賞がある。流行語大賞だ。

 昨年は『神ってる』が大賞を受賞した。また、『保育園落ちた日本死ね』がノミネートされたことが物議を読んだことが印象的だった。自分としてはノミネートされることが妥当だと考えていたが、日本を愛しすぎている人たちを中心に非難がかなりあったのに驚いた。

 選考委員の1人である俵万智さんの説明をテレビで見たら、自分はすんなり納得した。彼女は著名な歌人だ。市井の人々はもちろん、散文を書くことを仕事にしている人よりも言葉に対しては敏感であることは間違いない。

「死ね」という言葉が公共の場で見たり語られたりすることは憚られることかもしれないが、そんな言葉でしか待機児童問題に悩まされている人たちにとっては心情を表すのが難しかったに違いない。
 また、その言葉によって国会でも取り上げられることになったので、ある意味昨年の世相を表した言葉のひとつであることは間違いないだろう。

 さて、今年はまず何がノミネートされて対象はどの言葉になるのだろう。個人的には『インスタ映え』ではないかと考えている。
 自分が今年からInstagramをはじめたこともあるので、身近に感じているせいかもしれないが、Instagramはスマフォの普及率と相まって情報のC to Cを加速させているのは間違いなく、時代も捉えていると思う。
 人間の情報は7割が視覚と言われている。Instagramは写真だけでなく動画や動画のライブ配信なども行えるために、より情報の受け手に対して影響を与えやすいだろう。

 自分はInstagramではフォローしているだけで情報を発信したことがほとんど無いので、インスタ映えを追い求める気持ちはわからない。
 ただ、オフラインである実社会では年々、世間が寛容さをなくしているように自分ですら感じている。
 そんな中で暮らしていると人はどうしてもなかなか自己肯定も自己承認を感じることがは難しくなるだろう。

 一方、閉じたインターネット社会の中で顔を見えない相手であっても、割と簡単に自分の情報が承認されるのであれば、そのことに中毒性を感じるのは仕方がないことなのかもしれない。
 もちろん、自分だってこのblogを貶されたり無視されたりするよりは、肯定された方が気分が良くなるからだ。