淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

ただではない価値を大事にすること【『人生フルーツ』を再鑑賞して】

 実は昨日、『人生フルーツ』を映画館で再鑑賞していた。もう一度blogに取り上げるべきか悩んだが、昨日はとりあえず他の話題を取り上げた。今日1日考えた結果、やはり再度記事にするべきだという結論にたどりついたので今この記事を書いている。
 ちなみに、正月2日にテレビで初鑑賞した際に感じたことは以下のblogに書いている。
hatehatehahaha.hatenablog.com
 2日にblogを書く際に最も悩んだことがある。作品の最初の部分を見逃していたのに記事にしてよいものかを。全編通して見ていないのにも関わらず。
 だが、途中から見ても鑑賞した後に残った心象を書き残して置きたいという気持ちの方が勝ってしまったので記事にした。

 自分の書いてしまったことに対してのひとつの自責として、少しでも早くこの作品を再鑑賞したいと思っていた。映画館での初演からは時間が経っているし、ミニシアター系でしか上映されていないと思っていた。だが、それは自分の思い込みだった。
 インターネットで調べると自宅から車で30分ほどのシネコンで毎日上映されている。日中の1回のみであるが。

 映画館に足を運んだのは『君の名は。』を鑑賞して以来。
 作品を冒頭から見たことは再鑑賞の中で一番意味があったことだとは思う。当然のことなのでこれ以上は触れないが。
 ただ、劇場で映画を鑑賞する価値を改めて思い直すことができたことも自分の中では大きかった。このようなもの静かな作品であっても。

 映画館まで自分を連れていく時間的コスト、交通費や入館料などの金銭的コストを支払うことによって作品に臨む姿勢が変わってくる。
 また、地上波などのテレビ放送であれば無料ではあるがCMが入ってしまう。金銭的対価を払ってDVDや有料放送で鑑賞したとしても、家のテレビでは劇場の臨場感には勝てないだろう。家庭用のテレビが液晶になり鮮明化、大型化しているとしても。
 テレビで鑑賞していたときには印象に残らなかった作品中の音楽も、作品をより素晴らしいものにしていると感じることもできた。

 上映が終わった後には、初鑑賞の時よりも様々なことを考えていた。そのすべてを書くのは量的にも大変だし、質的にも自分の文章表現力ではとても伝えることは出来ないので、ひとつのテーマだけ書いておきたい。

「ときをためる」というキーワードが作品中に出てくるが、お金だけでなく時間にも限りがあるということがじんわりと伝わってきた。
 お金や時間が有限だからといって、お金のためにあくせくしたり、時間のために焦ったりバタバタしないことが重要だということが。
 一言でいうと、「ただではない価値を大事にすること」を忘れずに自分の身の丈にあった暮らしをすることが、人生では大切なことではないだろうか。